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投稿者 : seiko 投稿日時: 2003-12-09 01:12:45 (3464 ヒット)


ぷりぷりポテトサラダの話し!  大木晴子   

「私のレシピ」に「ぷりぷりポテトサラダ」を載せました。
このポテトサラダは、我家では「谷村さんのぷりぷりポテトサラダ」と言っています。
谷村彰彦さんは、連れ合いと同じイノシシ生まれ、二年前に若くして亡くなられました。
谷村さんのお仕事はグラフィックデザイナーでした。
装幀だけでなく本文、図版レイアウトなど書物全体をブック・デザインして素敵な本をたくさん拵え、
亡くなられた後も作品を通して私の中に生き続けています。
背の高い谷村さんは、153センチの私と話をする時はまるで親キリンが子どもを見るように
長い首を曲げて黒い大きな優しい瞳で話してくださいました。
いつも穏やかな笑顔でおられる谷村さんは、素敵な方でした。
パソコンの側には、告別式の時にいただいた谷村さんが装丁をされた「手紙の書き方」(三省堂)を
何時も置いて私はページを開ける度に思い出したりするのです。
その谷村さんのお通夜で受付のお手伝いを終え皆さんと一緒の席につくとテーブルの上には、
仕出しの料理やお寿司などの間に置かれた器と美しいハーモニーを奏でている数品の料理に眼が止まりました。
「手料理だ。どなたが作られたのだう」「きっと、谷村さんがお好きな料理だったのかなぁー」と
思いながら私の目の前にあった「ポテトサラダ」を一口。
滑らかな優しい味が口の中で広がりました。今でもその味を思い出す事ができます。
もう一口、もう一口、もう一口と気がつくとお皿のポテトサラダをほとんど食べてしまいました。
ここまで食べても何だろうという疑問は解けずにいると、和服姿の方が一品を持って私の隣に座り、
「気に入られましたか」「谷村さんが大好きなサラダでしたのよ」と新しい「ポテトサラダ」に置き換えながら言われました。
「ええ、美味しいです」「この滑らかで優しいポテトは私が作るものと何処が違うかずっと考えているんですけどわかりません。」
と私はきっと寂しそうに言ったのだと思います。
その女性は、暫く考えて私の耳元に口を寄せて「企業秘密ですが」
とおつしゃって作り方を教えてくださいました。
私は、緊張しながらしっかり覚えなければと一言一言を噛みしめながら聞きました。
次の日に拵えたポテトサラダは近い味に作る事ができました。
連れ合いと相談して、入っているボイルしたエビがぷりぷりなので
「谷村さんのぷりぷりポテトサラダ」と名前をつけました。
我家で何回も、何回も作りました。もう私の味になったと思いますので・・・。
さぁ、耳をかして下さい「企業秘密ですがそっとお教えします」
「私のレシピ」を訪ねてください。(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2003-11-19 23:43:14 (2222 ヒット)

松井やよりさんに見つめられ! 大木晴子
http://www.jca.apc.org/video-juku/matsui.htm
松井やよりさんの一周忌がもうすぐです。
私は、松井やよりさんと直接お話をしたことはありません。
集会や毎年八月十五日の渋谷で遠くからお話を聞かせていただくだけでした。
でも亡くなられてからとっても近くにいてくださり何時も励ましていただいているような気がするのです。
どうしてかと言うとそれは、一匹の猫と食器洗い器が松井さんのお宅から我家にやって来たからです。
新宿でH井さんと反戦意思表示をするようになって暫くした頃に、松井さんの側でお仕事をしていたH井さんは、「松井さんの遺品を整理して皆さんに「女たちの戦争と平和資料館」設立の為に品物を買っていただくの」私は「もし、猫があったら取っておいて、私が買わせていただくから」と頼んでいました。次の土曜日に「晴子さん、あったわよ!猫。松井さんが猫を持っているなんて珍しいのよ。」と木彫りの写真の猫が我家の仲間になりました。
ちょつと話がそれますが、私は猫を集めています。結婚してからずっとです。
家中の猫の置物・写真・絵など数えると五百は越えています。
結婚して猫を飼いたいと思いました。でも動物があまり好きではない義母は、猫の写真を見ただけで駄目なのがわかり諦めて先代の次郎を飼うことにしたのです。
それ以来、猫は置物になりました。
今は、庭に来る野良猫ちゃん達と仲良しで時々ですが猫の母さんもしています。
こうして松井さんの側で過ごしていた木彫りの猫は、私のパソコンのスイッチの横でいつも見つめていてくれるようになったのです。弱気になると何だか「駄目よ!頑張れるでしょう」と声をかけてもらえるようで心強く大切にしているのです。名前は、よりちゃんと名付けました。
また、わたしが夕食後、パソコンにスイッチを入れる時は、台所でチャプチャプと我家の食器が気持ち良く洗われている音がして、いつも助かりますと感謝して文章を書き始めます。
この食器洗い器は、五月に出した意見広告の仕事をH井さんとしている時に松井さんの食器洗い器の貰い手が無いというお話を聞き、我家にいただく事にしました。こうして、猫と食器洗い器に助けられホームページを立ち上げてから忙しくなった私は、松井さんに見つめられて頑張ることが出来るのです。
松井さんが、残されたたくさんの素晴らしい運動は多くの人たちに受け継がれてこれからも力を合わせて歩まれることでしょう。
(03-11-19おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2003-10-26 00:13:41 (1819 ヒット)
ありがとう!私!GO GOになりました。 大木晴子
日付が変り10月26日になりました。何の日!原子力記念日!いえいえ私の55歳の誕生日です。今日からGO GO!です。
今月は、連れ合いもそして我家の息子、柴犬ジローも誕生日を迎えました。
ジローは10日に8歳になりました。我家の塀の掲示板にジローのメッセージを子どもたちにも読んでもらえるようにルビをふり掲示しました。
ワン  ワン  ワン  ワン  ワン
あ   り   が   と   う
ボクは十月十日、八歳になりました。
たくさんのお友達や皆さんにやさしく声をかけて
いただき幸せな時間を過ごすことができました。
ボクは生まれて初めての誕生日に母さんが・・・・
「ジロー君、お誕生日は『ありがとう』をする日よ
父さん母さんやジローと一緒に生まれたお兄ちゃんの
テツ君そしていつも優しく声をかけてくださる皆さん
みんなにまもられて大きくなったのよ!ありがとうを
言いましょうね。」と教えてくれました。
みんなは言えるかなぁー誕生日の朝に言ってみようよ。
「あ・り・が・と・う」
素敵な気分になれるから!!きっと!! 大木ジロー

私は今年、特別な思いで誕生日を迎えました。それは新宿西口地下広場での反戦意思表示で、たくさんの人たちと出会い言葉で言い表すことが出来ないほど恵まれた時間をそして学びの場を与えられ感謝の気持ちでいっぱいです。
毎年自分の年を辛かった時間も楽しかった時間もみんな含めて感謝し、愛おしく思う事にしていますから、私は年を重ねる誕生日が好きです。
隣の部屋で仕事をしている連れ合いに「ありがとう」を・・今年はこれまた特別に感謝しているのです。それは、「『私のレシピ』の写真、良く撮れてるわね」と友人から言われて私は、直ぐに「みんな、私が撮っているの」と応えると「門前の小僧習わぬ経を・・」と言われました。カメラマンをしている彼から何気なく教わってきたことを活かすことが出来たからです。
側で寝ているジローにも「ワン・ワン・ワン・ワン・ワン」と言いました。
皆さん、ありがとう!GO GO!の年もよろしく!
★ 25日(土)の西口通信を書いている途中ですが一休み、先にチョット
掲載します。お日さまが昇る頃には載っています、広場の様子。読んで下さいね。
(おおきせいこ)03-10-26

投稿者 : seiko 投稿日時: 2003-10-08 15:03:00 (2576 ヒット)
 
(1975年の母です。)
     
 人とのつき合い方    大木晴子
 人は死をむかえた時、その人がどんな人とのつき合い方をして生きてきたがわかるような気が私にはする。
そう思う一人に私の母がいる。
 母は、明治三十九年の生まれ、私が生まれたのは、母が四十二歳の時だった。年の離れた兄達の、
大学のサークル仲間が我家によく集まっていたのは、私が小学校に上がった頃だった。
その数は、二十数人になることもしばしばだつた。
そんな時決まって母は、豚汁やおにぎりを作り、もてなしていた。
母がにぎる三角のおにぎりは、五十個も六十個もあるのに、大きさも高さも同じだった。
それが幼い私にはとても不思議で母の手は、魔法の手に見えた。
私が、そのおにぎりに秘められた、母の平等な精神や真心を知るのは、
ずっと後になってからだった。
 我家の夕食は、家族以外の人が一緒に食べている事が多かった。
近所の人だったり、兄の友人だったり、それはにぎやかで母は、
一度もいやな顔をしたりすることがなかった。
我が子と同じように自然なもてなしをしていた。
 私自身が家庭をもち、人をもてなすようになって、時には苦痛をおぼえる。
そんな時、いつも変わらない母は、なんだったのだろうと思う。
 母は、私が四歳の誕生日に黒いビロードのコートをおくってくれた。
そのときの母の言葉は、今でもはっきり、わらべ歌のように私の心に刻まれている。
「晴子ちゃん、お誕生日はありがとうする日よ、あなたが今日までみんなに守られ
大きくなったことをありがとうする日が誕生日なのよ」と私の目をみて、
やさしく笑みながら、可愛いコートを着せてくれた。
 この時、私は人に出会い、そうして学んでいくのだと幼心に感じ取ったように思う。
 母の葬儀の日、私は今までに会ったこともない大勢の方から
母の生きてきた証を聞き胸が熱くなる思いだった。
母が亡くなって、二十年。ちかごろ、私の生き方の中に母の姿を見ることがある。
とりわけ、人とのつき合い方の中に。それだけにまた、母の大きさを感じている。(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2003-09-25 21:16:02 (2051 ヒット)
「私のレシピ」    大木晴子
南瓜は美味しく煮えましたか。

 特別に料理をうまく作れるわけでもないのですが、「私のレシピ」のコーナーを拵えたのは、1989年7月から始まった義父への夕食作りを2002年1月からデジタルカメラで、その夕食を毎日撮り始めたからです。

 データーが溜まり始めると、私の中に何か新しい風が吹き込みはじめました。
画像を見て、季節や色合いなどを考えたり、時々、頂き物など思い出になる品が絵に入るとまた楽しい記録になっていきます。

 義父の食事だけでなく、母から、義母からそして素敵な食べ物に出会った時に直ぐ作り、我が家の味にしてきたものを書きたいと思いました。
自分が心地よいと感じたものが、また何処かのお宅で作っていただき、味が伝わっていくのは嬉しいですよね。のんびり続けす。

 何かにこだわって、記録していく事。それは、いろいろ考えて反省したり、また頑張ろうと挑戦する気持ちになれたり、何より良いのは、自分を褒める「美味しそう」と言って!素敵な気持ちになります。

是非、お勧めします。小さいお子さんのいる方、「お弁当」とか「おやつ」とか、お子さんの笑顔・泣き顔など記録して、その時の事を覚えていることって素敵だなぁーと思います。

 2回目「私のレシピ」は、「母のおにぎり」です。近く、母が作ったおにぎりの話を「エッセイ」のコーナーに載せたいと思います。03-09-25(おおきせいこ)
連絡先・seiko@seiko-jiro.net



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