平和を創るのはあなた・・・そして私。 大木晴子
極月に入り最初の土曜日は、何時もより少し早めに家を出て神保町にある日本教育会館へ向かいました。3日から始まった写真展「60年目に問い直す 沖縄戦」を見る為に・・・。
初めて見る写真も多く目も心も釘付け状態になってしまいました。
沖縄の大きな犠牲の上に育まれてきた自分を見つめました。
丸木美術館の「原爆の図」の前に立った時と同じように「二度とこの悲惨な出来事を繰り返してはいけない」と身体中の細胞が叫びました。皆さん、声を掛け合って写真展に出かけてください。子どもたちと一緒に見てください。身体で感じて下さい。二度と戦争をしない国になる為に・・・・.
入り口に掲示された大田昌秀さんの言葉「写真展を開くにあたって」をデーターで送っていただきました。掲載させていただきます。
写真展を開くにあたって
敗戦後六十年が経った。私が主宰する小さな大田平和総合研究所は、この機会に心ある方々のご協力を得て沖縄と東京、関西及びその他で沖縄戦の写真展を開くことにした。余りにも多くの人たちが、沖縄戦、いや戦争の実相を知らなさ過ぎると思われるからだ。
写真展は、たんに忘却の彼方に押しやられた戦争を思い出し、非業の死を遂げた人たちを偲ぶためではない。それもあるが、何よりも敗戦後の沖縄の現実を知り、国の未来を考えてみたいがためである。おそらくあの戦争を生き延びた人たちの中には、私と同様に沖縄の非人道的現実と急速に危険をはらみつつあるわが国の将来にたいし、強い不安を抱いている者が少なくないにちがいない。
沖縄戦とは、いったい何だったのか。
あれは、何のため、誰から誰を守るための戦争だったのか。なぜ沖縄の十数万もの人間があたら何よりも大事な命を奪われねばならなかったのか。ーー沖縄の人たちは、これまでいくどこれらの問いを発してきたことだろうか。
戦後になって知ったことだが、沖縄戦は、当初から全く勝ち目のない無謀な戦闘だった。沖縄の守備に当たった日本軍は、地元から根こそぎ動員された防衛隊や学徒隊を含めても約十一万人。それに比べ米軍は、一千五百隻の艦船で完全に制海権を押さえ、一千機にも及ぶ各種軍用機で制空権も掌握した上で、沖縄の人口を上回る延べ五十四万八千人の大軍で押し寄せたのだ。したがって到底勝てる筈がなかった。東京の大本営は、開戦前からそのことを百も承知であった。作戦参謀たちは、一度米軍が上陸したら、沖縄の軍官民は、「玉砕するしかない」と認識しながら、あえて開戦に踏み切ったのだ。
なぜか。それは他でもなく米軍の沖縄上陸当時、日本本土の防衛体制は、まだ六十パーセント程度しか仕上がっていなかった。
ワシントンの米統合参謀本部は、米軍が一九四五年四月一日に沖縄本島へ上陸後、同年五月二十五日に日本列島への上陸作戦を展開すべく「滅亡作戦(ダウンフォール)」の実施を配下戦闘部隊に命じた。日本本土への直接侵攻は、二次の前哨戦で開始されることになった。一つは同年十一月一日に実施予定の南九州は有明湾から上陸する「オリンピック作戦」。今一つは、翌四六年三月一日に予定された関東平野から上陸する予定の「コロネット作戦」だ。
当時、日本軍首脳が一番恐れていたのは、日本側の本土決戦準備が整う前に米軍が南九州に本格的作戦を展開するための橋頭堡(きょうとうほ)を築いてしまうことであった。そのため、一日でも長く米軍を沖縄に釘付けにすることによって本土への上陸を遅らせ、その間に本土の防衛体制を完璧にしようと図ったのだ。つまり沖縄戦は、事実上、本土防衛のための「捨て石」作戦に他ならず、沖縄は、本土を守る防波堤に利用されたのである。
だが、その代償は、余りにも大きく高価についた。一九四五年三月二十六日の戦闘開始から同年九月七日の正式の終結に至る間に沖縄は、人口の三分の一近くの十数万人の尊い人命を犠牲にした。その多くは、幼い子供たちと高齢者。死因の態様は、艦砲撃や爆撃による戦死、餓死、自決、集団死、友軍による殺りく等々、百人百様であった。
とりわけ悲惨だったのは、県下の十二の男子中等学校の生徒と十の女学校の十代の生徒たちだ。男女生徒たちは、法的根拠もないまま、守備軍司令官の命により否応もなく戦場に投入されたからだ。その結果は、文字どおり無残の一語に尽きた。男女生徒二千二百二十三人(男子一千七百六十六人、女子四百五十七人)のうち、約半数の一千六二人があたら若い命を失った(男子八百七十六人、女子百八十六人)。あまつさえ小学校の学童たちも県外へ疎開する途中、敵潜水艦に攻撃され対馬丸を含め、二十六隻もの疎開船が撃沈された。あげく大人も含め四千五百五十人ほどが海没した。だが、被害はそれだけではなかった。
一九六〇年に厚生省が調査したのによると、戦乱に巻き込まれた十四歳未満の幼児たち一万一千四百八十三人の犠牲者を死因別に見ると、砲爆撃による死者より、頼みとする友軍兵士によって殺害された者や自決に追いつめられた者、避難壕から追い出されたり、食糧を奪われるなどして命を失った者がほとんどだったことが分かる。それも正確な数ではなく、恐らく実数は、その数倍にのぼるにちがいない。あまつさえ、一家全滅の世帯も五十三市町村の中、二十四市町村にも及んだ。中でも西原町の桃原集落では一家全滅が五十一パーセント、糸満市の字米須では、それが四十七パーセントを占めたほど。
だが、戦争の悲惨さ、怖さは、むしろ生き残った人々や、遺族の心に与えた傷の大きさ、深さである。おそらく彼らの多くは、過去六十年間、最愛の肉親や親戚、友人、知人の非業の死を悼んで一日たりとも安眠できなかったろう。生存者や遺族たちの悲しみや悔しさ、怒りは、勝者や敗者の別なく、いつまでも癒しようがないからだ。
戦火で変貌し尽くした沖縄の山野は、どこもかしこも今以て死者たちの血で染まったまま。非業の死を遂げた無数の民間人が地底から発する怒りの声は絶えることなく聞こえてくる。数千の遺体は、六十年経った今も未収骨のままだし、毎年二、三億円の金をかけて処理している戦時中の不発弾の処理にしても専門家は、あと半世紀以上も処理し続けなければ完了しないという。その一方では、戦争から奇跡的に命は助かったけれども、戦場での非人道的なおぞましい殺りく場面を目の当たりにしてショックで心を病み戦後、病院に入ったまま、この間、一歩も外へ出てこれない人たちも少なくない。一体この人たちの人生とは何だろうか。沖縄戦は、今も続いているのだ。
沖縄県の平和祈念資料館には、つぎのような言葉が掲げてある。
「沖縄戦の実相にふれるたびに
戦争というものはこれほど残忍で
これほど汚辱にまみれたものはないと思うのです
この なまなましい体験の前ではいかなる人でも
戦争を肯定し美化することは できないはずです
戦争をおこすのは たしかに人間です
しかし それ以上に戦争を許さない努力のできるのも
私たち人間ではないでしょうか
戦後このかた私たちはあらゆる戦争を憎み
平和な島を建設せねばと思いつづけてきました
これが あまりにも大きすぎた代償を払って
得たゆずることのできない私たちの信条なのです 」
大田平和総合研究 大田 昌秀
(大田昌秀さんは参議院議員、主な著書『沖縄民衆意識』・『醜い日本人』・『写真集これが沖縄戦だ』・『沖縄の挑戦』・『沖縄差別と平和憲法』・『沖縄戦下の米日心理戦争』など多数。)
http://blog.livedoor.jp/okinawamo555/
時間等、フォーラム(ひろば)をご覧下さい。期間は短いです!
http://www.seiko-jiro.net/modules/newbb/viewtopic.php?topic_id=123&forum=1&post_id=125#forumpost125
写真展会場では、吉川勇一さん、世織書房の伊藤晶宣さんにお会いしました。そして雲さんこと村雲司さんも・・・一緒に新宿へ向かいました。
5時少し前、地上での意思表示が始まりました。ビッグイシューを販売する宮川さんは、床屋さんに行って来たとすっきりした頭で少し寒そう!!
Kさんが、Oさんがそして先週初めて参加した友人が今日は、一緒にフラメンコの公演を観に行った友達と一緒にスタンディングをしました。これから来られる時に立とうと意思表示されていました。良いですね!生活の中で無理をしないで自然体の意思表示が一番だと思います。
K松さん、千代さんが立たれて8名の明るい意思表示になりました。
千代さんは、「平和を創るのはあなたです」のプラカードに鏡にyou!と書いて持っていました。鏡に映る人が気付いてくれるといいのになぁー。
6時、地下へ降ります。
K島さんが立ち始めていました。言葉をフォトアルバムに掲載しています。
沖縄に何時も力強い支援を送るTさんは「基地強化に反対 今こそ 日米安保廃棄」とプラカードを掲げて、今日はお連れ合いが初めて来られ私の「私たちは戦争に協力しません」の意見広告を持って立たれました。これからもご一緒に意思表示!嬉しいです。
Kさんの新しいプラカードは目立ちます。隣りのYさんの文字も!
ムキンポさんもレインボーのKさんも広場に明るい意思表示です。
ジローのプラカードには、沖縄から届いた「合意していない プロジェクト」のステッカーを貼りました。
今日は、このプロジェクトを支援している“手織舎すずめ”さんがこしらえた「タンスにジュゴン」を西口の皆さんに買っていただきました。このプロジェクトを教えて下さったkiss-me さんは、早速「タンスにジュゴン」と雲さんの「平和」の文字を持って意思表示でした。
「タンスにジュゴン」この日30個が届きました。
一日で完売!デモや集会で広めたいと思いましたが、手作りなので一度にたくさんは、無理とのこと・・・・残念!!でもとても優しくて、可愛くて側に置くと素敵なことがありそうなそんな気持ちになる「タンスにジュゴン」です。皆さんも少しずつ注文してください。下記のサイトからお訪ねください。
http://disagree.okinawaforum.org/actions.html
(ムキンポさんにシャッターを押していただきました。)
この日は、放送された時と同じ服で駅に向かいました。
途中「こんにちは」と元気な声をかけられました。
知らない人でした。
爽やかな笑顔ですれ違うとその笑顔から「いってらっしゃい」と言われたような気がしました。嬉しかった!!
(05-12-04・おおきせいこ)
イラク戦争に反対するおばあたち
Vigil?平和を守る番人たちの意思表示 大木晴子
今年の5月に旧べ平連の皆さんと出会う忍野パーティーの席で2002年にベトナムへご一緒した山田佐世子さんと再会しました。その時山田さんは、05年5月12日の朝日新聞投書欄で「ニューヨークでも大木さんたちと同じように反戦意思表示をしている皆さんがいる」と知って、機会があったら訪ねてみたいと話されました。
そしてこの秋に、取材のお仕事でニューヨークへ出かけられた山田さんは、水曜日の「平和のための意思表示」ロックフェラープラザの正面へ・・・一緒に意思表示をされました。
(真ん中の女性が山田佐世子さんです。)
この意思表示を始められたWileさんに私のページの「平和」のバンダナを手渡してくださいました。
(“米兵死者 2077人”というプラカードを持って男性とお話をしている人がJoan Wileさんです。)
Joan Wileさんたちが、配っているチラシを頂きました。
直ぐに西口で意思表示をしている山口陽子さん(リバーベンドの翻訳もされている)に訳していただきました。訳が出来上がると「いかがですか」と陽子さんから問いかけがあり鈴木香織 さん、cielbleuさんが知恵を出し合いました。そのメイルを見ながら私は心が温かくなってきて、ニューヨークへ行きたいなぁーと思ったりしてしまいました。イラク戦争に反対するおばあたちの熱いメッセージを掲載します。
ニューヨークへ行かれたらお声をかけて下さいね!!(おおきせいこ)
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イラク戦争に反対するおばあたち
Vigil?平和を守る番人たちの意思表示
「イラク戦争に反対するおばあたち」は2004年1月14日以来、ニューヨークにあるロックフェラープラザの正面で毎週「平和のための意思表示」を続けています。うそといつわりに基づくブッシュによるイラク攻撃により何万人ものイラク人とこれを書いている時点においても2000人以上ものアメリカ兵の死に、怒りと胸ふさがれる思いからこの行動を始めました。私たちが引き起こした死と破壊は許されざる不当行為で、同盟国の同意なく行われたイラクに対する先制攻撃と侵略は、世界でのアメリカの名声に傷をつけました。 今、私たちは権力に狂った侵略者として軽蔑すべき対象とみなされています。
その上、ブッシュ政権の主張する「テロとの闘い」という主権国家へのこの見当違いの攻撃は、むしろイラク人や「連合」軍への何千倍ものテロを生み、これまで以上の危険をもたらしました。毎週、犠牲者数は悲劇的に増加しています。 私たちの若い兵士たちは、私たちに何の脅威も少しの害も加えなかった国に対する不法で道徳的に非難すべき占領を続けるため、消耗品のように政府に扱われています。
私たちおばあの世代は、第二次世界大戦で父とおじを失い、 朝鮮戦争で兄弟と夫を、 ベトナムでは息子と甥、そして、今、孫たちまで・・・罪もない人々に対する無意味で残酷な攻撃のために失っています。私たちの知恵と経験を合わせて、米国政府の政策に変化を及ぼし、ただちにこの破壊を終わらせる一助となることを願っています。
私たちは、毎週水曜日の午後4時30分から5時30分までの間、五番街の西側、49番と50番通りの間で平和のための意思表示を行っています。 この意思表示には毎週、湾岸戦争、ベトナム戦争、朝鮮戦争、および第二次世界大戦の「平和のための退役軍人」のメンバーが合流しています。あらゆる世代の人々が私たちと共にスタンディングに参加することを歓迎しています。
また、あなたの州の選出議員に対し、この国家の悲劇を終わらせるためにあらゆる力を尽くように働きかけてください。 私たちには変えることができます、 私たち一人ひとりの力によって、 手紙を書き、祈願やスタンディングをし、議論を深めることから。
Join Us! ジョインアス! 連帯しましょう! 一緒にがんばりましょう! 参加して!
Website : grandmothersagainstthewar.org
Contact : joanwile@ grandmothersagainstthewar.org
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写真撮影;山田佐世子さん
★山田佐世子さんが書かれた記事です。
http://www.jca.apc.org/beheiren/YamadaSayoko-AozainoKagayaki.htm
山田 佐世子:アオザイの輝き・元「ベ平連」ツアー同行記 (『山陰 中央新報』 2002年4月30日号?5月2日号)
チラシ翻訳:山口陽子さん、鈴木香織さん、cielbleuさん
★ 忍野パーティー
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=349
雑踏の中で輝く表情 大木晴子
もう直ぐ一年の最後の月をむかえるのに、薄手のコートで十分な温かい土曜日になりました。昨日NHK「特報首都圏」で西口のことが放映された直後から電話やメイルをたくさんいただいています。
その一部をフォーラム(ひろば)に掲載させていただいています。
朝のジローの散歩では、「みましたよ」と声をかけていただき、子育て中のお母さん方からは、戦争へ繋がる道を歩いているのではと子どもたちの未来に不安な思いでいることがはっきりと言葉で聞くことが出来ました。
一歩、一歩しっかりと向き合い歩むことの大切さを身体全身で感じながら新たな気持ちで2年と10ヶ月最後の土曜日、西口へ向かうことにしました。
5時少し前に小田急デパート前、ハルクへつながる歩道橋下に着くと雲さんが背筋を伸ばし豊かな表情で立たれていました。横には、ビッグイシューを販売する宮川さんが低い重みのある声で呼びかけていました。
今日は何時より売れています。
「嬉しいですね。」と顔を見合わせて微笑む・・・心も身体も温かくなるようです。そして今日は、もっと温かくなってしまいました。
昨夜、一番に電話をくれた友人。訪ねてくれました。一緒に少しの時間でしたが、意思表示をしました。
彼女は糸を紡いで洋服やマフラー、可愛い帽子などを楽しみながら制作される方です。素敵なマフラーと帽子をいただきました。
きっと「寒いだろうなぁー」・・・と思って・・・嬉しかった!!
OさんとKさんが、「基地はいりません」「戦争に使う基地はいりません」と声をかけながらチラシを配ります。受け取らない人も多いでも諦めないで配り続けます。
千代さんそしてK松さんが立ち始めます。行き交う人の視線と向き合い6時ギリギリまで地上の意思表示は続けられました。
6時、広場にはK島さんが立ち一人二人と言葉の声が響きます。
写真を見ていて思います。立たれている皆さんの表情が優しい!!
雲さんが立つ柱には、レインボー旗のPACE(イタリア語で平和)沖縄の辺野古の文字に一字が加わり・・・辺野古崎と書かれたプラカード。Kさんは、新しいプラカードも増えました。(フォトアルバムに掲載しています。)
Sさんのメッセージは、テレビの映像には映りませんでした。
さぁー、読んで下さい。
先日まで辺野古へ支援に出かけていたTさんのプラカードはもちろん沖縄問題です。海上基地案は、撤回し辺野古で命がけの戦いを続けている人々の勝利でしたが、沖縄の基地問題は、なにも解決していません。命を守り平和へ繋げる行動は続きます。各地で支援する人たちと強い絆を結び勝利を喜ぶことが出来る日まで続けられます。
共に温かい眼差しで向き合いましょう・・・それが大きな力になると私は信じています。
(フォトアルバムにも掲載しています)
先週のニュースにコメントを書いて下さったCさん、書き直したプラカードで!!
病院にも行けず!!そうクルド難民、カザンキランさんドガーンさんたち家族も子どもたちが具合が悪くなっても直ぐに病院へ行けないというお話を聞いたことがあります。そろそろ12月に送るカンパのことを考えなくては、12月!!頑張って集めよう!!子どもたちにサンタさんからプレゼントが届けられるように!!
カンパと言えば、久し振りに意思表示で一番高齢かなぁー。
月に一度はと頑張って訪ねて下さる喜代さんは、今日もカンパ2千円を届けて下さいました。
「何処に送っててもいいのよ」・・・と。
私はこれは立川反戦ビラ入れ裁判闘争へ送りますと応えました。
「判決が12月9日(金)午前10時から行われますから」と伝えると嬉しそうに「そうして、下さいね」・・・・と。
バンダナ3枚分と合わせて届けます。
勝利を信じて支援のカンパを送ります。
皆さん、温かい眼差しを向けていてください。
カンパ報告ページは下記です。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=129
http://www4.ocn.ne.jp/~tentmura/index.htm
(立川反戦ビラ入れ弾圧裁判支援サイト)
Nさんは、意見広告のお知らせと私も何時もつけている「九条実現」のバッジのチラシを持って意思表示です。
http://www.ikenkoukoku.jp/
(意見広告のサイトです)
今日のプラカードは、色が濃くなって「数千億円!」
もう、考え込んでしまいませんか。
いつもユニークな表現で立たれるkiss-meさんが、素敵なサイトを教えてくれました。
11月17日の沖縄タイムス文化欄に大きく掲載された「合意してないプロジェクト」のサイトです。
一九五九年。「島ぐるみ闘争」が米軍の強硬な弾圧と切り崩しによりつぶされていったあと、闘いを続けながらも無力感と悩みの渦中にあった阿波根昌鴻さんが、沖縄を訪れた世界人権連盟のロジャー・ボールドウィン議長に対して質問しました。
「日米政府はわしらの家を焼き、農民を縛り上げ、土地を取り上げて、核戦争の準備をしておりますが、これを止める方法がありましたら教えてください」どんなむすかしいことをいうかと思っていたら、「みんなが反対すればやめさせられる」。もう一度、この言葉に立ち返って抵抗運動を再創造しようという呼びかけです。
http://disagree.okinawaforum.org/actions.html
(合意してないプロジェクト)
私も早く、「タンスにジュゴン」を買わなくちゃ!!
今日、一番嬉しかったこと。
テレビを見て若者が一緒にスタンディングをしました。
この方、集会やデモでも会ったことが・・・・。
「何時も横目で見ていました。」と言われて、テレビを見て意思表示をしたいと思われたそうです。千代さんと一緒の柱で立ちました。
帰り際「今度は、自分の言葉でプラカードを持って来ます」と弾んだ声が心地よく耳に残りました。
自分に出来ることをしていきましょう。
イラク戦争が始まった時にたくさん集まった人たちが、もう一度心を繋いで歩んでいけるといいなぁー。
「みんなが反対すればやめさせられる」みんなが力を合わせて出来ればきっとできる・・・諦めないで、諦めない。
「放送された番組、とても良かった」とニコニコ顔のAさんと2年と10ヶ月が終る地下広場で、新たな思いを育み個が積み重ねて行く平和への歩みは続きます。
(おおきせいこ)
笑って、泣いて・・・「ALWAYS 三丁目の夕日」そして西口報告!
大木晴子
ハンカチを握って、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を観てきました。
1958年の東京、近所の人が集まって見たテレビ、丸形の冷蔵庫には母が作ってくれたアイスクリームの味を思い出し、出て来る物から次々と懐かしい私の10歳の時がよみがえってきました。
私は、人が人に関わることの大切さをあらためて感じながらこの「ALWAYS 三丁目の夕日」観ていました。そして捨て去られるものの切なさを・・・・。
氷屋さんのアップの顔、カメラはゆっくりターンしてゴミに出された木の氷冷庫を映し出します。その顔が忘れられないのです。
泣いて、笑ってまた泣いて心にしみる映画です。家族でご覧になると話したくなります。たくさん語りあいましょう。
http://www.always3.jp/index02.html
2年と9ヶ月になる西口、12日と19日の土曜日は、NHKの取材カメラが地下広場の反戦意思表示を撮影しました。
何度も西口に足を運びその様子を映像にと挑戦して下さったNHKディレクターAさんの、丁寧な取材を見て私は思います。ぎりぎりのところまで頑張って私たちの気持ちをまとめて下さるのでは・・・と。
西口に立つある人はこう言います。
「私同様に、西口を必要とし、
西口を知らずにいる人がいるのならば、
どうぞ、知らせてください。
西口を行き交う人々へと同様に、
私は、ブラウン管の前の人々を信じます。」
そうです私も信じます。どのようなかたちで放送されても2年と9ヶ月の時間の記録がこのページには残っています。
プラカードを持つ指先が痛く辛かった寒い冬、汗をかきながら立った夏の日、凄い台風でもKさんとOさんが頑張った日のこと一回、一回にドラマがあり書き続けられた西口広場です。
25日(金曜日)NHK総合午後7時30分から放送される「特報首都圏」の放送を楽しみにしています。
関東甲信越だけの放送ですが、その他の皆さんがお知り合いに頼んでビデオやDVDに録画していただきより多くの皆さんに観ていただけたらとトップページにお知らせを掲載しました。
リスクをも背負いながら取材に応じた私たちの思いがより多くの人に届けられることを祈りたいと思います。
さぁ、19日の新宿です。
5時から地上でのスタンディングが始まりました。
今日は、辺野古のパネル写真に眼が止まります。Oさん、雲さんがそして通りかかった西一さんが「ボクも立とう」と言って雲さんが書かれた「非戦」とパネル写真を持って立ち始めました。
西一さんが帰ると千代さん、Yさんが加わり華やいだ意思表示になりました。隣りでは、ビッグイシューを売る宮ちゃんの声が響きます。「もう、6時になりますよ」と今日も宮ちゃんに知らせてもらい急いで地下へ移動しました。
戦争を体験されているKさんは、何時も平和憲法を守ると訴えておられます。
言葉を替えて立たれるKさんの画集は、15冊目になったかなぁー。
沖縄の美しい風土には、基地よりも可愛いジュゴンや美しい珊瑚礁が似合う。誰もがそう思いますよね。
若いCさんの言葉に、私は何時も一緒に痛みを感じています。
前を歩く一人としてこの若い人たちに何が残せるだろうと考えてしまいます。
千代さんはディレクターAさんの取材を受けています。
Sさんには、カメラが・・・・。
広場は何時もと変わりなく個が淡々と意思表示を続けています。
遅れてAさんが仲間入り、嬉しいなぁー!!
雲さんの「平和」の文字が入ったバンダナを持って立たれました。
声をかけてもらったり、いろいろあった意思表示でした。
「何処かで誰かが頑張っている」そう思えると心強くなりませんか。不安になってしまうことが、次から次に起こる今・・・何かしなければと思われますよね。半歩でも一歩でも生活の中で平和への歩みを続けましょう。
土曜日の報告ページが、あれ!水曜日になってしまいました。「マガジン9条」と同じ更新日になってしまいました。訪ねて下さい。
http://www.magazine9.jp/index.html
(05-11-23・おおきせいこ)
「戦争ハ地獄」 大木晴子
日曜の朝、ジローの散歩を終えて門に入ると何時も「おはよう」「お帰りなさい」と道で会うと声をかけている子どもがお母さんと通りました。優しくジローを触り、「きれいなバンダナね」と・・・。そうです11日に、一億円をのせた雲さんの「平和」の文字が書かれたバンダナです。
http://www.seiko-jiro.net/modules/myalbum/photo.php?lid=382
「平和」のバンダナの話をすると子どもが通っている学校も平和へ繋がる活動をしていると話され署名などしていますと言われ嬉しくなりました。学校をお聞きすると私が素敵な教育をしているなぁーと思っているW小学校でした。私はこの高等部の反戦を真剣に考える子どもたちの活動を何時も応援しています。12日の集会は、西口と重なって行かれませんでした。どんな集会だったのかな、皆さん連絡を下さいね。待っています!!
さぁー、土曜日の報告です。
昼前には、前日からの雨や風がおさまり青空が見られ大きなプラカードを持って東松山まで出かけるのでホットしました。
家から約2時間、二度目の丸木美術館へ出かけました。
今日は、前回と違い学芸員の岡村さんに「原爆の図」と美術館を丁寧に説明していただき「新しく平和へ繋げて生きる勇気」を心に刻むことが出来ました。
訪ねられる方にお勧めします。機会があればお話を聞きながらご覧になることを・・・・。
雲さんは3回目、Sさん、Yさんそして私は2回度目です。
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/top/shien.htm
賛同人に登録した私たちは、前回頂いたカード見せて中に入りました。
「おばちゃん?、おばちゃん?」と声をかけてくれる幼子にまた会えたことがとても嬉しかった。一瞬、その子が嬉しそうな顔をしたような気がしました。
(原爆の図・第4部「虹」に描かれている幼子)
2ヶ月と少しで西口の意思表示も3年になります。
私は、出来れば一月の末、最後の土曜日か4年目が始める2月の最初の土曜日に、この丸木美術館で貸し出している「原爆の図」のパネルをみんなで持って立てたらと思っています。お借りするお金の問題や人ごみの中での意思表示が可能かどうかいろいろありますが、再度「原爆の図」の前に身を置きその思いは更に大きく膨らんできました。
出来るといいなぁー。
話が弾んで「あっ!こんな時間」と急いで電車に乗り新宿へ向かいました。
地上小田急前では、Oさんがチラシを配り始めていました。
雲さん、Yさん、Sさん、Aさん、K松さん、千代さん、みんなの言葉が並びました。外国の方がVサイン、「STOP BUSH」と書かれた素敵な手書きのバッジを頂きました。
6時地下へ移動します。
えっ「数千億円」、あれくらいが一億円だからと一千万円の札束の感触を思い出しながら考えているうちにだんだん腹がたって来ました。
このお金があれば福祉も充実できる!
お年寄りも安心して病院へ行ける!
と考えながらファインダーに写るkiss-meさんを撮っていました。
何時も笑顔が美しい加藤千代さんの持つ「爆撃のない空を」のプラカードは、広場に平和の使者「白い鳩」が羽ばたきます。
私は、千代さんがお仕事をされる映画雑誌「シネ・フロント」(シネ・フロント社)のフアンです。「話題の人・訪問」など千代さんのインタビューには優しい平和を意識して語られる心を何時も感じることが出来ます。映画の好きな方へお勧めの雑誌です。
今日は、久し振りに立たれた方がおられました。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=340
上記のニュースにコメントを書いて下さった方が声をかけてくださいました。「少しの時間だけど」と言われて私のプラカードを持たれてスタンディングでした。土曜日を忘れないでいてくださること嬉しいです。
私と同じ柱で立たれるご婦人、先週に続いて「ブッシュの訪日反対」の意思表示でした。
広場には沖縄のこと、憲法のこと様々な人々の声がこだまします。
行き交う人は、眼を止め心を止めて記憶に残っていくことでしょう。
怪我をして暫く片手でシャッターを押していたムキンポさんも三角巾はしていますが、両手が使えるようになって良かった。
本当です。あの時代、あの時、動いた人たちは何処にいるのでしょう。お父さん、お母さんになっていますよね。
この言葉に尽きます。(05-11-13・おおきせいこ)