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投稿者 : seiko 投稿日時: 2005-08-21 17:02:38 (2651 ヒット)


オオラカが生きていました! 05-08-20 土曜日の報告 大木晴子

 少し前になりますが、17日の朝 暫く動かしていない車の下にオオラカが入りました。今までの猫たちのように、エンジンをかけると後ろの庭へ逃げ込むと思い込んでいた私は、そのまま連れ合いを送り出しました。直ぐにオオラカを呼びましたが姿が見えません。そのうちタマも心配になったのでしょう私と一緒に鳴きながら探し始めました。
 脇にある溝からマンホールに通じる所があり、重い蓋を外してみたりしました。でも声も聞こえません。だんだん不安になりもしかして車の下の何処かに逃げ込んでいるのでは、心臓の音が皮膚に感じるようにドキドキしました。もしそうだとしたら、途中で落ちるか車が止まった時に飛び降りていてくれたらと思い近くの信号や曲がり角など探しました。
 連れ合いが帰宅し、この話をすると私と同じように心を痛めそれからは タマと目が合うと「ごめんね、タマ」と言う日が続いていました。
 私は、彼から詳しい通り道を聞き、毎日ジローと散歩用の手提げにキャットフードを入れて探して歩きました。昨日も月が輝く夜、新宿から帰ると直ぐにジローと歩きました。
「ジロー、オオラカのこと、もうダメかなぁー」と少し弱気になって話しながら探し、きれいなお月さまにオオラカが元気で愛されて大きくなるようにと願いながら歩いていました。

 私は昼間からのスタンディングで少し疲れていました。Yさんへ送る「出来れば・毎日通信」を出そうと思いながらジローと眠ってしまいました。
 翌朝、「ニャーゴ・ニャーゴ」と言うオオラカの声で目が覚めました。「オオラカの声よ!」と私は飛び起き階段途中の窓を開けました。いました、オオラカがないていました。
 「オオラカ、お帰り!!」私は牛乳を持ってオオラカの所に走り寄りました。タマも喜び、兄弟たちも側でオオラカ見つめていました。



 土曜日、東京は焼け付くような暑さでした。一番暑さが厳しい昼過ぎに家を出ました。向かう先は池袋、東京10区の選挙区です。
 前の晩に永田町でロビー活動を行っている関義友さんにメイルで訪ねました。東京10区で意思表示するには何処から始めたらいいかと・・・・。岐阜に行っている関さんから丁寧なメイルを頂きました。10区の地図や大学が多い若者が集まっている江古田周辺の地図などそして池袋西口公園も紹介されていました。関さんのサイトです。

http://www.sekigumi.org/



 先ずは、歩いてみようと池袋へ向かいました。教えていただいた池袋駅西口から一分の所にある西口公園は芸術劇場の真ん前にありました。行き交う人もいてベンチに座りながらのんびり話でもしながらここで始めようと「戦争はイヤだ!」のプラカードを並べ「見つめよう 政治を正す力は 市民にある!」と雲さんの平和の文字を持って座りました。すると直ぐに公園にいるガードマンが私の後ろに立ち始めました。



 何も言われませんが、監視されての意思表示になりました。声をかけて下さる方が何人もいてある男性は「そうだよね。若い人が選挙に行かなくてはダメだよ。私も息子に何時も言うけど行かないねー。それじゃ、ダメだね。今度は行かせるよ」と・・・・。
 別の男性は「偉いね。考えちゃうね。頑張ってね」とエールを送っていただきました。しっかりと向き合い読んでいただけたことで行動にうつしてよかった。
 私は、組織など大きな歯車で動かなければならないやり方には ついていけない方ですが、個を見つめて その人がその中で反戦平和の思いを 戦い抜いてほしいと 願う気持ちは持っています。兄の連れ合いになって30数年、仲良く姉妹になって過ごしてきた山本敏江(としえ)さんが今度の選挙で立候補します。私は、一人でも多くの10区に住む人が、平和へ繋がる歩みをしている人に投票してほしいと願い意思表示をしていきたいと思っています。10区にお住まいの方、また10区にお知り合いがいる方、ぜひ個を見つめて投票へ、平和へ繋げる一票を投じてくださるようにメイルで、手紙で電話で会う事が可能ならば話をしてください。
一時間10分の意思表示を終えて、新宿へ・・・・・。




 5時、小田急前では雲さんが立ち始めていました。
 今日は隣りでインディオの音楽が生演奏され、人がたくさん立ち止まり楽しそうにリズムをとっていました。宮ちゃんの話だと今日の演奏者は上手な方で人がよく聞いているしCDもよく売れているという話でした。
「ほら、この曲、何時もは弾かないよ。人が沢山いるからだね。」と宮ちゃんの感性は素敵です。
 OさんKさんは、9月4日(日)午後3時から行われる沖縄から米軍基地をなくそう「9・4防衛庁『人間の鎖』行動」(場所・市ヶ谷防衛庁前集合)のチラシを撒いていました。皆さん、声をかけあい集まりましょうね!!

 地下広場へ降ります。今日はエレベーターを使って降りるとアナンスが「地下一階、地下広場です」と言っていました。ここは、通路ではなく、やっぱり広場なんだと思ったら少し荷物が軽く感じました。久し振りに少ない人数での意思表示でしたが、雰囲気は変わりません。ほら!あそこにあの方の思いが立っている!!夏だから怪談ふうにね・・・・。
ほら、現れた。



 いま東京の街では、よく見かける風景になってしまいました。



 雲さんは、展示会で画鋲を打たれたパネルを持って立ちました。

http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=74



 中身を入れ替えたと言われたKさんのプラカードです。立ち止まらないと読めないプラカード、声をかけて下さる方も一番多いかもしれません。



 意思表示を始める時に書いたOさんの言葉、どうしてみんなにわからないのか、伝わらないのかと涙がこぼれそうになりました。

 意思表示が終わり、Sさんに見せていただいた新聞です。



 この新聞の事は、前日にメイルで知らせていただきました。その時の文面が心に残ったのでSさんの承諾を得て掲載します。

今朝、電車に乗ると、
前に座っている人も左右両隣の人も、
同じ新聞の同じページを読んでいました。
「日刊スポーツ」の特集ページです。
大見出しで「無関心ではいけない」
さる3日、「ジョニーは戦場へ行った」の試写会があり、
上映に先立って行われた、岸恵子さんの講演が掲載されています。
ご自身の、横浜大空襲、食糧難などの体験の後、
「人種差別や偏見や強国のエゴで戦争が広がる。
胸がえぐられる思いです」と、語られました。
新聞の一面を割いての反戦特集に驚きました。
下の段には、
新潮社・戦後60年「まだ語られていない戦後。」として、
11冊の本が紹介されています。
最後の一冊は、
「私の戦後60年-日本共産党議長の証言」不破哲三著。
新潮社からというのに驚きました。
その下の広告は、
岡本喜八監督「肉弾」のDVD。

さて、「ジョニーは戦場へ行った」の制作は1971年、
小学6年生だった私は、怖いとも思わず、
直截に「反戦映画」との感想も持たず、
「欲望って何だろう」との思いを抱いたのでした。
それから、いろいろ考えて、
今では、反戦映画といえば、「ジョニーは戦場へ行った」です。
昨年1月のスタンディングプラカードは、
「ジョニーを戦場に出すな
   日本人のジョニーを作るな」でした。

 とSさんからのメイルでした。最後にラジオ深夜便「私の戦後60年」で聞いた鶴見和子さんが話されていた言葉が書かれていました。

「戦争が罪なんです。
  戦争に歯向かうことがじゃない。」

 無関心にならないでください。子どもたちが、戦争など起こらない明るく希望の持てる社会の中で伸び伸びと成長できるように、ここで大人が生き方を見せましょう。世田谷区の教科書選択日は8月23日です。見つめましょう!!(おおきせいこ)

●世田谷区教育委員会(採択日は8月23日)
〒154-8504 世田谷区世田谷4丁目21番27号
電話 03-5432-1111
FAX 03-5432-3028
メール 
http://www.city.setagaya.tokyo.jp/goiken.html

投稿者 : seiko 投稿日時: 2005-08-19 21:45:40 (1922 ヒット)


凄い雷!まるで私たちの気持ちみたい!!8月半ばの土曜日。

                       
 大木晴子

 家を出ると入道雲がもくもくと出ていて、蒸し暑い土曜日になりました。
地上小田急前には、雲さんが立ち、Oさんがチラシを配り、Aさんが立ちました。近くには久し振りにフライパンさんが9月11日の集会・パレードのチラシを手渡しています。

http://www.worldpeacenow.jp/

 今日は新宿西口は何時もと少し雰囲気が違っていました。



 辺野古支援の皆さんが、沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落してから一年が経つこの日に、防衛庁に抗議行動をした後、この西口で9月4日に行われる「9・4防衛庁『人間の鎖』行動」を呼びかけるチラシを行き交う人たちへ配りました。

(辺野古への海上基地建設・ボーリング調査を許さない実行委員)
http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/NNBJ.html

 6時近く新宿は、激しく雷がなり大粒の雨になりました。
地下広場で意思表示が始まると上でチラシを配っていた人たちが一緒に広場に立ち始めました。



 辺野古のことを説明したパネルやヘリ墜落現場の写真や当時の新聞記事を手に手に持って明るく立ち始めました。
 何時もの倍以上の人が立ち始めたので警察官が警備の人に「何があるんですか」と聞いていました。警備員の方は、丁寧に今までの経過を伝え7時までは、許可されていると伝えていました。



 今日は珍しい方も意思表示です。私の「平和」のプラカードを持っていろいろな人と話をされていました。日本山妙法寺の石橋さんです。



 Kさんは、東京新聞に掲載された「アジア太平洋戦争の戦跡」を広げています。



 賑やかだった広場は、6時半を過ぎる頃に辺野古支援の皆さんが帰られ何時ものメンバーの意思表示となりました。



 私の今日の意思表示は、杉並の採決を気にしながら前日に海外に出られたCさんの思いを一緒にと・・・彼女のプラカードの写真を使わせてもらいました。海外で見ているかなぁーこのページ、たくさんの国で見ていただいているみたいなのですが、何かコメント書いて下さい!!




(この写真は、カメラマンの山本英夫さんに撮っていただきました。) 
 Cさんの言葉、「忘れない」大切なことですよね。



kiss-meさんの意思表示です。隣りは沖縄国際大学のヘリ墜落現場の壁です。



 最後の写真は、言葉です。
今年の一月に亡くなった兄の連れ合いが東京10区から立候補します。

http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=302

 私は組織とか関係なく山本敏江(としえ)さんのような人が政治をしてくれたら世の中住みやすく、大らかな生き方が出来るといつも彼女に会うと思います。住む場所が違い私には一票入れることが出来ませんが、この思いを投票日までに多くの人に伝えたいと思います。(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2005-08-08 12:06:15 (2058 ヒット)

原爆忌を胸に・・・。大木晴子
 先週はKY生さんが毎年やっていらっしゃる「原爆忌一人Standing」を今年もしますという意思表示に最終日の5日参加しました。少し早めに着いた新宿西口小田急デパート前は、何時ものように大勢の人たちが行き交い、虐待された動物たちの支援をする若者、宣伝雑誌を配る人たち、ビッグイシューを売る宮ちゃんはもう終っていました。KY生さんの登場を待っているとCさんが「まだ、始めていないの」と不思議そうな顔で現れました。「言い出しっぺのKY生さんが始められたら一緒に立ちましょうね」と言うと「あぁ、そうなんだ」と言われて、道場さんの紀伊国屋書店 
http://www.kinokuniya.co.jp/04f/d03/tokyo/jinbunya.htm
のコーナーを見て、とっても良かったと嬉しそうに話してくれました。その道場さんも参加、そしてSさんの5人での意思表示になりました。その様子は、KY生さんの報告ページをお読みください。
http://green.ap.teacup.com/kysei/106.html
 翌日8月6日は60年前、あの忌まわしい日、広島に原爆が落とされた日、西口で意思表示している人たちも沖縄の辺野古で支援しながら、広島の抗議行動に参加した人、作品展で反戦を意思表示する人、忙しい仕事に追われながらも心の片隅に何時も意思表示している人、戦争で日本が犯した過ちを正しく伝えアジアの人びとと平和への歩みをとこの8月オープンした「女たちの戦争と平和資料館」で頑張る人、様々な場で心は繋がっていると信じられる幸せを私は今年も感じることが出来ました。
 昼過ぎ家を出ると眩むような強い太陽の光に神田香織さんの「はだしのゲン」の語りを思い出しあらためて心の中で手を合わせる思いでした。早稲田に設立された「女たちの戦争と平和資料館」
http://www.wam-peace.org/wam.html
に着くと会場は参加者でいっぱいでした。今日は特別展セミナーが行われ「昭和天皇の戦争関与と戦争責任」というタイトルで明治大学の山田朗さんのお話を伺いました。具体的な沢山の資料をもとに話されるその内容は、とてもよくわかり戦争を終わらせる機会が3度もあったのにそれをしなかった責任の大きさは、あの広島と長崎でそしてたくさんの戦地で命を奪われた人たちは死んでも死にきれないと思いました。過ちを正しく継承し二度と悲惨な争いが起こらない世界にしなければと身体中で感じてきました。
 会場で参加している皆さんに12日に審議が延びた杉並区の「つくる会」教科書を選択しないように呼びかける署名を30人近くの方に頂き新宿へ急ぎました。
 高田馬場駅で電車を待っていると若い男女が涼しげに浴衣姿で私の前に立ちました。「あれ!」と見ると女性の着方が変でした。今年これで6人目です。側により「おせっかいなようでごめんなさい。着物の着方、右左逆でそれだと死に装束の時の着方になっちゃうので着替えられた方が良いと思います」と話かけました。「ほーら」と男性が言いました。「ほんとー」と女性が言いました。電車が来たので乗りましたが、二人は乗ってきませんでした。トイレで着替えるのかなぁーと思いながら着るなら美しく着ようねと心の中で。
(下のサイトで少し参考になるかなぁー着方!)
http://yukatalism.com/html/ktkv2_index.html
 西口地上に5時過ぎに着くと宮ちゃんが私たちの場所を確保していてくれました。今日も雑誌やティシューを配る人たちで賑やかでした。
 私が立ち始めると9月11日に明治公園で行われる「BE-IN+WORLD PEADE NOWパレード」のチラシを配りに若者が現れました。

http://give-peace-a-chance.jp/118/050911.html
 暫くして、珍しく雲さんが遅れて、少し元気が無い様子で現れました。今日は、辺野古や広島へ心を繋げて参加されている人たちがいます。西口も少ないかなぁーと思いながら地上での意思表示でした。
6時地下へ。

 何時もの場所に立ち始めると隣りで難民支援に力を注いでいるAさんが初めて参加されました。彼は、いろいろな意思表示を考えて来て楽しいコーナーが出来ました。

 13冊目のスケッチブックも後わずかになってきたようです。毎回、毎回その社会情勢を読み言葉に表すことはとても大変なことです。
地下広場では、いつも心の中で頭を下げ共に頑張れることを嬉しく思うのです。

「米国は 原爆を 反省して!」Cさんの言葉に若者の眼が止まります

 隣りに立つKさんにkiss-meさんは説明しています。
「2002年8月6日、ガザで行われたヒロシマ・ナガサキの原爆被害者を記念する式典で、海に灯篭を流すパレスチナ人の少年の写真。この写真の式典はパレスチナの平和確立をもとめるデモも兼ねている。(掲載されたのは2002年8月8日付けジャパンタイムス、写真はAP配信)」
 たしか、kiss-meさんは去年この写真を持たれた時に「わけあえるよね、平和」と書かれていました。

 そのKさんは、黒こげの死体がならぶ東京大空襲の時の写真で意思表示でした。戦争はイヤって誰だってこの写真を見たら思う。

 朝日さんが新しいカメラを構えて登場しました。撮影が終わるとSさんの隣りでお気に入りのジローと一緒に立ち始めました。

 雲さんは、どうしたのでしょうか。何かとても怖い表情を時々見せて「NO WAR 被爆した自分を想像して下さい」と書かれた新しいプラカードで立っていました。雲さんの元気が無い理由は、下記のページで読んで下さい。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=74

 着物姿で現れたYさん、バッグから包帯を出すと頭に巻き始めました。もうここから意思表示です。
ライトに照らし出された「戦争ハ地獄」もう言葉はいりません。
これを見て今日が広島そして直ぐ長崎がと記憶に残して平和を見つめてほしいと願いながら私は見つめていました。(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2005-07-31 18:40:39 (2157 ヒット)

日常の中で・・・平和を感じる・・・そして。大木晴子
(7月最後の土曜日・・・・その前日のデモ報告も)

太陽が輝く午後7月29日、東京新宿西口近くにある柏木公園で「都教委包囲デモ」がありました。写真の幼子から高齢の方々まで400人近くの人が「つくる会」教科書選択にNOの声をあげて、「日の丸・君が代」の強制反対、また不当に処分された皆さんの撤回を求めて力強いデモ行進を行いました。いま日本列島を行脚し広島へ向かう韓国テグ市からいらしている7名の皆さんも参加その活き活きした表情に何かホッとしたものを感じ、私たちも忘れてはいけないと思いながら過ごしていました。 
 デモの様子は、KY生さんのページ「黙々と」
http://green.ap.teacup.com/kysei/100.html
 ムキンポさんのサイトにもたくさん写真が掲載されています。
http://www.mkimpo.com/diary/2005/tokyoui_05-07-29.html
 もっと、子育て中の父さん、母さんが動きださきゃダメ、教師と一緒に心を繋いで子どもたちの未来の為にいま頑張らなければきっと後悔する・・・そう思いました。動き出すことは、怖いと思う。 
 柏木公園に入るところに最初はデモ参加者より多い警察関係者がいました。そこを通り抜けて中に入るには勇気が必要です。でも通り抜けた自分と向き合って下さい。
きっと活き活きとした自分を見つけて、勇気と温もりを感じるはずです。いま、皆にそれが出来たらいろいろな事が変わって子どもたちの未来に明るい光を見ることが出来ると私はそう思います。
30日は、7月最後の土曜日。
 私は6時起きでした。一日留守をするのでジローの散歩は、彼が納得いくまでゆっくり歩くことにしました。涼しいうちに・・・・。
 おにぎりとプラカードを持って有明コロシアムへ向ました。開場1時間前・・・もう並び始めていました。KY生さんも早くから並んでいます。暑さもあり早めに入場出来ると良いのにと話していると15分前冷房の効いた中に入ることができました。

 輝き、太陽など明るいイメージの大きなヒマワリがステージに・・・・。ほんとうに広い会場なので人は豆粒のようにしか見えませんが、大きなスクリーンが登場人物の表情を豊かに伝えていました。

 私の大好きな澤地久枝さんは、北海道で講演中の為にビデオレターで登場でした。私の前に座っているAさんは、「明日も晴れ」のバンダナをして澤地さんの声に耳を傾けていました。

 開会前、荘村清志さんのギター演奏がありました。素晴らしい音色の中に写し出される荘村さんの表情に共に平和憲法を守ろうという強い思いを感じ幸せな時間をいただきました。
 この「九条の会」集会参加者は9500人、全国に3026の「九条の会」があると報告がありました。繋がりましょう皆で!!

 4時半過ぎに新宿へ向かいました。
 駅で渡辺一枝さんとお会いして、新宿へ。一枝さんのバッグも何時も意思表示です。生活の中で・・・・一番大切なことだと思います。
 雲さんとAさんと三人で地上での意思表示を始めました。隣りで宮ちゃんが雲さんの作った「バックナンバーあります」のプラカードを下げて頑張っています。Kさんが参加6時まで続きました。

 6時、地下広場に平和への叫びが立ち始めます。
Yさんは、「沖縄をふたたび 捨て石にするのですか?」と「Days Japan」を持って立っています。沖縄戦の写真が掲載されています。
http://www.daysjapan.net/

 広場を行き交う人の眼が変わってきたように思うとAさんは言います。「よく、見て行くよね」と・・・・。
そう話しかけて下さり、自分の思いを語っていく人もいます。

 今日も言葉が新しくなりました。13冊目のスケッチブックを持って意思表示です。

 イタリア語とアラビア文字で「平和」、レインボーの旗が広場を明るくしています。

 そして、この言葉も広場で大きく意思表示しています。下記のページを読むとよくわかります。(おおきせいこ)
http://www.magazine9.jp/tsukkomi/index.html

 有明の「九条の会」は、カンパの要請に500万円近くの温かい連帯の気持ちと一緒に会場から寄せられました。素晴らしいですね。
司会の小森陽一さんは、これからは平和に繋がる品をおおいに販売して頑張りましょう・・・・と私もそう思います。これからも気合いを入れてバンダナ等販売します。共に頑張らなければいけないことがたくさんあるからです。
皆さん、協力をお願いします!!
☆★温かい声援を!★☆☆★戦いは続いています!★☆☆★温かい声援を!★☆
カンパ報告です。
★立川反戦ビラ入れ裁判へバンダナ3枚(7月分)を送りました。下記のページで掲載しています。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=129
いよいよ9月14日(水)は控訴第一回公判日です。その前の9月3日(土)に応援集会があります。詳しくは、大洞さんのサイトなど掲載しています上記のページを訪ねて下さい。出来る支援を!!
☆★温かい声援を!★☆☆★戦いは続いています!★☆☆★温かい声援を!★☆
★ 辺野古支援カンパを送りました。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=294
上記のページが報告ページです。
☆★温かい声援を!★☆☆★戦いは続いています!★☆☆★温かい声援を!★☆
どちらも、まだまだ支援が必要です。協力をお願いします。
★★雲さんの「平和」のバンダナ160枚を拵えました。
白とブルー、日本文字で雲さんが書いた「平和」の文字。
このバンダナは、これ以上拵えません。世界で660枚しかない平和のバンダナです。生活の中で使ってください。
外国へのお土産にも喜ばれます。持つだけで反戦意思表示が出来ます。詳しくは、下記のページでご覧下さい。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=174

投稿者 : seiko 投稿日時: 2005-07-28 12:18:19 (2029 ヒット)


ともに東アジアの平和の担い手へ
扶桑社版歴史教科書の採択を憂う韓国市民の思い
平和を願う日本の友へ
この文は皆さんと真の友人になりたいと願う韓国市民からの希望と友情の手紙です

韓国と日本は数千年にわたって近しい隣人として過ごしてきました。両国は20世紀初めに支配と被支配の不幸な歴史も経験しましたが、いま私たちの前には新しい日韓関係の可能性が芽生えています。1日に1万人以上が両国を行き来するほど、私たちの距離は狭まりました。日本の歌を口ずさむ韓国の若者や、「韓流」ブームの主役となった日本の女性たち誰もが、お互いを身近な存在として感じるようになりました。
ですが、韓国の私たちは時に悲しい思いにかられることもあります。韓国の人々が忘れたくても忘れられない歴史の痛みに、再び傷を与える出来事のためです。歴史を歪める日本の政治家の発言に、つらい体験をした私たちの両親や祖父母は心を痛めます。過去の侵略戦争や植民地支配を正当化する歴史教科書の登場は、子どもたちに不幸な歴史を引き継がせてしまうのではないかという恐れを抱かせます。
私たちは過去にとらわれるためではなく、和解と友情、平和な未来をひらくために、歴史を知ることが大切だと信じています。「知らない」ことは、時に人の心を深く傷つけてしまうからです。

日本全国で教科書選択が行われている今、「新しい歴史教科書をつくる会」による扶桑社の歴史教科書は、韓国の人々の心に暗い影を落としています。扶桑社の歴史教科書は、アジア諸国を共存のパートナーと見なさず、過去の侵略を正当化したり、戦争を讃美しているためです。韓国の私たちは、扶桑社の歴史教科書によって、日本の民主主義が後退し、韓日の友情と和解、アジアの平和が損なわれることを憂いています。
このような教科書が、日本の教育現場で使われることになってしまったら・・・韓国の子どもたちのパートナーである日本の子どもたちがどんな大人へと育つのか、日本が危ない国としてアジアを再び脅かしたりはしないか、韓国と日本が真の和解を果たした友ととして、ともに平和を創り上げることができるだろうか・・・。そういった心配から、の本の行方を不安の中で見守っているのです。
 
 平和を愛する日本の皆さん!
私たちは4年前の教科書採択当時、皆さんが「扶桑社のあぶない教科書NO!」を各地で叫び、戦争ではなく平和への道を選択されたことを鮮明に覚えています。平和を願う市民の小さな行動が日本全域に広がり、世の中を動かす力へと変わっていく様子を観ることができました。
2005年のこの夏、皆さんはどのような選択をなさいますか。皆さんの大切な子どもたちにどんな教科書を手渡しますか。日本を見守る韓国とアジアの友人たちに、皆さんはどのような行動で応えてくださいますか。

私たちは、日本が過去の被害国との歴史の葛藤を乗り越え、アジア諸国からの信頼の中で、ともに平和を創る友の国となってくれることを心から願っています。どうか歴史を歪めない教科書と平和を目指す教育を選ぶことで、その最初のボタンをかけてください。
不幸な過去をくり返さないために、子どもたちに平和な未来を与えるために!
     2005年7月27日  
       韓国の友より、平和への希望を込めて
              アジアの平和と歴史教育連帯

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