戦争が残したもの、ベトナム戦争から繋がっている人々。大木晴子
今月の19日から25日まで、小田実さんが代表を務める「日越市民交流」の招きで来日していたベトナムの皆さんの記事が26日(金)東京新聞・朝刊「こちら特報部」掲載されました。ベトナム戦争体験者が語る言葉に明日に繋げる思いを考えさせられる内容でした。
「戦争はひどいことです。日本は戦争が終わって、60年もたつのに被爆者の苦しみが残っている。広島で話した72歳のおばあさんは、爆弾投下の時13歳です。それから結婚しなかった。話を聞いて皆、涙しました。戦争が終わってまもなく30年のベトナムも枯れ葉剤の影響が残っている。現在(直接の被害者の子孫を含め)三百万人が手や鼻、肛門がないなど影響を受けている」とグエン・コン・タンさんは話されたと書かれています。
私も3年前に2度、小田実さんたちとベトナムを訪ね、穏やかに日本語を話されるグエンさんに通訳をしていただきました。
その時の様子は、下記の旧べ平連サイトをお訪ねください。
(News 211番に掲載されています。)
http://www.jca.apc.org/beheiren/News-2002-Mokuji.htm
グエンさんは、独学で覚えた日本語で、ベトナム戦争の時クチのトンネルの中で短波放送から流れる日本での市民による反戦運動の様子を聞き、人々に伝えたそうです。相模原では、市民が戦車を止めたと・・・・。勇気づけられたと話されました。その時に座り込んで闘ったYさんは、その話を聞かれ涙ぐんでいらしたのが私の心に残りました。そしてYさんは、その後産まれた娘さんに裕衣(フエ)と名付けられました。同行していた裕衣さんと一緒にグエンさんに見立てていただき作ったアオザイはベトナムの素敵な思い出の一つになりました。
ハノイでは、枯れ葉剤の影響を受けた子どもたちが住む施設も訪ねました。見せていただいたビデオの中の子どもたちに会い、胸が締めつけられる思いでした。「許せない、アメリカ」と・・・。
今回「日越市民交流」で来日した皆さんは、17名でした。
東京は、元ベ平連事務局長の吉川勇一さん、坂元良枝さん(坂元さんは、小田実さんの「正義の戦争はあるのか」(NHK BS1で放送した)などドキュメント番組を作られるプロデューサー)が中心に23日・24日を共に過ごしました。
私もその一人で、学びの多い時間を与えられ感謝でした。
一行は、23日、昼過ぎに東京駅に到着。
さぁ、東京でのスケジュールがスタートです。
皆さんが、一時間の短いバス観光に出かけている間に大きな荷物を翌日泊まる相模原のホテルに送る作業に汗が・・・。
ミニ観光が終わり、皆さんの希望で秋葉原へ買い物に出かけることになりました。祭日の混み合う街で迷子になられたらとプレゼントに用意していた「明日も晴れ」のバンダナをしていただくことにしました。皆さん、気に入って下さり「ホッ」。
付き添いの皆さんも直ぐにわかるので喜んでいただきました。
電気製品や100円ショップでの買い物を済ませ夕刻の赤坂へ・・・。
「バリバリ」という焼き肉レストランで歓迎会です。この日、ホームスティーする家の家族の方々も一緒に楽しい交流が持たれました。
皆さんのお土産の中に、「平和」のバンダナや雲さんの「平和」のバッジそして「殺すな」のバッジなども贈られました。
その夜は、それぞれ訪ねた家で楽しい時間を過ごされたことでしょう。
私は、家も近い坂元さん宅に泊まられる4名と一緒に遅くまで話をしたり、歌をうたったり優しい笑顔に包まれて過ごしました。
家に着き、ジローの散歩をしながら長い一日が充実した時間であったことを感じながら「ジローくん、ごめんね。留守して、もう一日ね。ジローがいるから安心して母さんお出かけできる。ありがとう」
と話しながら気持ちの良い夜風の中、赤や黄色に色づいた落ち葉を見ながら歩きました。
24日は、国会へ・・・・。
ベトナムの皆さんは、国会見学の後に昼食、前の日に買った荷物を持っては大変とここでも私は荷物を預かることになりました。
衆議委員会館のロビーで!
何時も国会周辺でロビー活動している関さんもおられました。
http://blog.melma.com/00116100/
関さんに荷物をお願いして、直ぐ近くで行っている辺野古支援座り込みの皆さんに声をかけてきました。暑い夏に始まった座り込み、銀杏は色づき季節が・・・。
「街」の方が、ホームページ用の写真を撮っていました。
「皆さんをお送りしたら、少し座り込みに参加します」と・・・。
戻ると小田実さんが着かれ、ロビーで少しお話が出来ました。
]明日は、北海道へ来週は沖縄での「九条の会」でお話をされるそうです。絵本・「ジュゴンの海から」を買っていただきました。
それから環境問題研究家の綿貫礼子さんにも買っていただきました。
皆さん、辺野古支援のこの絵本を広めてくださいね。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=289
今年1月、ベトナムの元兵士や科学者らが作った「オレンジ剤(枯れ葉剤)被害者救済協会」は米国の枯れ葉剤製造元を相手取り、ニューヨークの連邦地裁に訴訟をおこしました。
1時からは、この訴訟は「最後の戦い」と言われる訪問団の団長ボーさんや小田実さんのお話、議員や議員秘書の皆さんへ協力を呼びかけました。
その後、一行は相模原へ向かいました。
戦車を止めた相模原で集会が開かれました。
広島、長崎・・・原爆でいまも苦しみ中にいる人たちがいる。60年の年月経っているのに・・・。
畑には、青々した葉が、美しい花も咲いているのに三百万人の人たちが、苦しみを抱えて生活しているベトナム。
1985年8月ピースボートで行ったベラウ。
私も一緒に手向けたタバコと線香、ペリリュー島で息子が戦死した北陸のおばあさんに頼まれたと・・・・。
このおばあさんの長い何十年という寂しい時間を思うと一緒に腹をたてて怒りたいと何時も思うのです。(おおきせいこ)
24日(水)、テレビ朝日の報道ステーション!!
「サンゴが破壊され始めてやっと全国放映されます。」大木晴子
(写真は二枚とも先週、辺野古に行かれた山本英夫さん撮影です)
お知らせが届きました。皆さん観てください。
「沖縄の辺野古沖でジュゴンの海の海底掘削を阻止しようと地元の人々の連日の攻防に胸を痛めるみなさまへ」
24日(水)、テレビ朝日の報道ステーションで琉球朝日放送の謝花記者による辺野古リポートが放送されます。
番組自体は午後9時54分から始まりますので、どうかお見逃しなく!サンゴが破壊され始めてやっと全国放映されます。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=289
絵本「ジュゴンの海から」を広めてください。
私は、月曜日の防衛庁前での抗議行動で参加された皆さんに。
手に取られると「もう一冊いただいて友だちにプレゼントするわ」と言われます。今日も15冊、月曜日は25冊買っていただきました。収益金は全て辺野古に送られます。
さぁ、直接辺野古に行かれなくても心を繋ぐことが出来ます。
今日、歩いた赤坂の街も年末に向けてクリスマス、忘年会の準備が始まりました。ぜひ、今年のプレゼントは、「ジュゴンの海から」の絵本や平和のバンダナをお使いいただければと願っています。
バンダナも辺野古や12月16日(木)に判決公判が行われる「立川ビラ弾圧裁判闘争」に送ります。
http://www4.ocn.ne.jp/~tentmura/
小さなことも、集まれば大きな力になります。
少し優しさを持つことができれば、自分以外のものに眼を向けることが出来るのではないでしょうか。
少しからでも始めましょう。自分に出来ること・・・絵本を読んで下さい。(おおきせいこ)
(ご住職のFさんと何時もユニークな意思表示をされるSさんのプラカードです)
自分の顔をよく見たことがありますか。 大木晴子
主婦の仕事は、たくさんあるので、朝6時に起きても昼過ぎに、反戦フェスタの会場へ行くのはたいへん。時間ギリギリに原宿の駅、でも千駄ヶ谷区民会館は直ぐわかりました。それは、必要以上にいると思える警察関係の人たちが見えたからです。
みんな同じように見える人たちの視線を受けながら会場にはいるとそこには、活きている顔、顔がありました。
そして、個がひかり、周りの輝きと向き合い、あるときは、それぞれの色を強調し、また他の場面では色が重なり美しいリズムを感じることが出来る集会の中で私は「辺野古・ジュゴン語翻訳の会」のメンバー雲さんとYさんと一緒に出来たばかりの絵本「ジュゴンの海から」を販売しました。雲さんは、「良い話だった」と若者たちの発言をメモしたり、私も絵本やバンダナの宣伝をさせていただきました。
参加者の皆さんに優しく受け入れられて心地の良い絵本販売のスタートを切ることが出来ました。
出店していた「模索舎」さんからは、お店に絵本とバンダナを置いて下さると嬉しい声がけをしていただきました。
今週中には、置いていただきます。
これからは、新宿にある「模索舎」でもお求めいただけます。
http://www.mosakusha.com/index.html
集会の様子は、ムキンポさんのサイトをお訪ねください。素敵な写真が見られます。
若者たちの意気込みが感じられる集会は、夕方5時過ぎからはデモ。
会館の前には、警察の撮影車が止まり、スタンバイしていました。
車の上のやぐらにカメラ、ビデオで撮る警察。
(VIDEO PRESSの松原明さんに写していただきました)
昔は、こんな露骨な行為は、おこなわれなかったのになぁ。
私たち西口へ意思表示に行く者は、原宿の駅まで短い距離でしたが心を繋ぎ参加しました。
名古屋からの参加、水田ふうさんも元気な顔で、ふうさんは1969年の新宿西口地下広場のフォーク集会にも参加、横田基地でも私と一緒だったそうです。同じ思いで年を重ねてこれたことが嬉しい。
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/saluton/
このサイトで水田ふうさんのことがわかります。
写真、右側の方です。真ん中は、横断幕に描かれた星の上に半月が美しく光を放っていて、左側の男性は、米兵・自衛官人権ホットラインメンバーの渡辺修孝さんです。今日のパネラーのお一人でした。
デモがスタートして、原宿の竹下口(JR出口)前でのことです。
信号は赤にして、横断歩道は竹下通りからも駅からも黄色いテープで遮断していました。
三枚つなげた写真は、少ないデモ隊が通過(左の写真)、真ん中の写真は、デモ隊と同じ長さぐらいある警察の車が後についてきていました。そしてゆっくり、ゆっくり走るあいだ「デモが行われています。今暫くそのままでお待ちください。と何度も繰り返しまるで迷惑をかけられていると思わせるような行為に「貧しい発想」を哀しく思いました。賛同した若者がいても入る自由もそこには無いような寂しさを「表現の自由はどうなっているの」みんな大切なことなのに「ほんとうに、これで良いの!!」と叫びたくなりました。
右側の警察の車が通り過ぎる・・・・そこにいる人たちは無言。
これって、とても恐ろしいことなのに・・・・みんなどうしたの。
気を取り直して、新宿へ向かいました。6時20分前、雲さんと私は地上小田急デパート前に急ぎました。
Oさんが一人で意思表示。暫くしてご住職のFさんも参加四人で6時まで続き地下へ・・・・.
地上から一つ嬉しいことが・・・・・。
何時も側でビッグイシュー(ホームレスの仕事をつくり自立を応援する雑誌)を売っていた体格のいい笑顔が可愛い男性がここ何週間かいないので病気をしているのではと皆で心配をしていました。
お仲間からの情報で、その男性は就職が決まり「ビッグイシュー」は卒業、お部屋も借りて新しい生活をスタートされたそうです。私たちは号が替わるごとに彼から求め、一緒に立ち応援してきました。本当に嬉しい知らせでした。
西口ひろばの意思表示。
あの柱にも、こちらにも、そしてあそこにも。
今日の言葉です。
地上から持ち続けているOさんのプラカードです。
私の意思表示。
心地の良い視線に気づき、見ると時々ヘルメットにメッセージを書いて立たれる青年がいました。今日は手ぶらでした。
絵本が出来たことを伝えると一冊を、おつりはカンパしていただきました。今日はこれから暫く振りの帰郷と言われて・・・優しい笑顔で発たれました。
私は、話をする時に顔をしっかりと見ることにしています。心は顔に出ます。自分の顔もよく見ます。自分と向き合うためによく見ます。偽らない生き方をしたいからよく見ます。皆さんはいかがですか。(おおきせいこ)
★ 辺野古への支援、絵本「ジュゴンの海から」を広めて下さい。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=289
3500冊のジュゴンの絵本!! 大木晴子
(5月25日の「社会新報」で紹介記事を書いていただきました。)
多分、最後の増刷だと思います。「ジュゴンの海から」500冊が刷り上がりました。気合いを入れて今の辺野古の現状を訴えながら広めて行きたいと思います。辺野古の戦いの中でうまれたこのジュゴンをぜひお手元に置いて下さい。常に平和への思いを意識する為に、この絵本のジュゴンを広めてください。
多分増刷は、これが最後になるかもしれません。
また、贈りものをする時期のようです。ぜひこの絵本を添えて平和への歩みを!!
このページの最後の部分申し込み内容を掲載しております。
★☆☆★★数が少ない!!☆☆★★☆☆まだ読んで無い方!★☆☆★★☆☆★
新緑が美しい5月最後の土曜日、「辺野古・ジュゴン語翻訳の会」は、「ジュゴンの海から」を500冊増刷することを決めました。3000頭(3000部の絵本)のジュゴンが日本を泳ぎまわってたくさんの皆さんの心が辺野古へ・・・・。これからも、ジュゴンは各地へ泳いで行きます。皆さん、広めてください。辺野古と繋がってください。平和に生きる権利を勝ち取りましょう・・・皆で!!
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約半年の間、私たちはこの絵本を抱えて歩いてきました。辺野古で戦っている人々のことを思い、平和へ繋がる歩みがしたい・・・と。もう、3000冊も刷りました。本屋さんに置いたわけでもないのに、人から人へこの「ジュゴンの海から」の絵本は皆の思いと一緒に歩きだしました。
私たちの言葉がわかりますか。ジュゴンからのメッセージです。
「ジュゴンの海から」
(辺野古・ジュゴン語翻訳の会)・300円
私が6月に平和のバンダナを拵えた時、新宿西口ひろばの意思表示で、隣に立っていたYさんが、「私も辺野古の為に何か作りたい。そう、ジュゴンの絵本が作れたら良いなぁー」と眼を輝かせて話しました。
「素敵だね。作ろうよ。言い出しっぺのYさん、頑張って!」とこの絵本はそこからスタートしました。
丁度その頃、リバーベンドさんの本が出来て、雲さんこと村雲 司さんが表紙の絵を描かれました。
「絵は雲さんにお願いしましょう」話は、心地の良いリズムを奏で皆の心が辺野古へと繋がっていきました。
西口ひろばにそれぞれの思いで立たれているOさん、Kさん、Tさん (女性の)、Tさん(男性の)、Yさんそして私は辺野古の座り込みに参加して、更に揺るがない心を持つことが出来ました。
雲さんが書かれたものに、皆で知恵と優しい心をぶつけあって、ジュゴンの気持ちになって、出来上がった絵本です。
収益金は、全て辺野古支援の為に使われます。
さぁー、皆さんたくさん買ってください。
何冊か買って、プレゼントに!!
人から人へ広めていただきたいと願っています。
雲さんからのメッセージです。
《辺野古の海が作らせた絵本》
美しい風景は
人間の心に共鳴する
私たちはその風景とひとつであることに
幸せを感じ心ふるわせ
限りない力を得て歩んで来た
しかし今私たちは
ほんの数センチ先の都合のために
美しい風景というかけがえのない友を
永遠に失おうとしている
しかも、その都合さえ誤ったものであるのに
美しいと感じるその美しいには
大切な意味と価値が秘められている
地球に在るものはすべて仲間だという思い
共に在ることの歓び
だから美しいという思いが心の底から生まれ出る
そのかけがえのない風景を殺し
そこに棲むものたちを殺し
人殺しのための基地を造る
これだけは許せないということがある
今、辺野古でそのことが起ころうとしている
・・・・・・・・・・・・・・・・
辺野古の海の悲しみと共振して
私たちは絵本を作りました
絵本の言葉
ジュゴンの言葉は
辺野古の海の言葉です
地球の言葉です
どうかページを開いて
耳を傾けてください
村雲 司
全国いろいろな場所で、「ジュゴンの海から」を読んでいただきました。沖縄と連帯して共に歩めることをとても幸せに感じています。これからも諦めずに歩みを続けます。(おおきせいこ)
下記のページは「明日も晴れー大木晴子のページ」から販売いたしました絵本の会計報告です。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=294
命をかけた闘い、平良夏芽さんのお話を聞いて・・・。大木晴子
17日、6時30分東京市ヶ谷防衛庁・防衛施設庁前での緊急行動に参加してきました。
辺野古から電話で平良夏芽さんが今日の辺野古の様子を語られました。カヌーがひっくり返されたり、夏芽さんは海にボンベをつけて入り抗議に行くと蹴られ、殴られ眼鏡などを取られ、そしてタンクの空気を抜いたりとあるまじき行為に危険を感じて、身を引かれた様子を語られました。私は一つ一つ想像し人の命をどう考えているのだろう。国は・・・・と。
(上の二枚の絵は、晋さんのお姉さんが描かれたプラカードです。)
夏芽さんたちは、今回の暴行は許せないと殺人未遂にも匹敵する行為に告訴を検討したいと言われていました。
参加しているグループからの発言、そして抗議申し入れをした「日韓民衆連帯全国ネットワーク」、「連続ティーチ・イン沖縄」実行委員会の皆さんのメッセージも心に残るものでした。
発言者の中に、富田晋さんのお姉さんが弟や恋人が辺野古で命をかけて闘っている「愛する人たちを殺さないで下さい」と泣きながら訴えるその姿に参加者は共に胸を痛め、更なる熱い思いを確認して家路につきました。
皆さん、辺野古の様子を思い浮かべる為にも闘いの記録をぜひ観て下さい。(おおきせいこ)