Sさんから送っていただいた写真を掲載いたします。29日土曜日新宿西口ひろばの様子です。
何時も静かに本を読まれ、6時になると言葉をかえて毎週立たれるご婦人。
今日の言葉は・・・・。
Sさん、Aさん、フライパンさんの柱です。(この写真は誰がシャッター押したの!)
Oさんと辺野古から帰っていらしたTさん、辺野古支援で意思表示です。
今日は、新しい方が立たれたようですね。素敵!!
Cさんは、DAYS JAPANを持って立ちました。今号は、周 香織さん撮影の写真もあります。クルド人難民の特集が掲載されています。
焼け野原になった戦争の悲惨な体験を語って下さいます。元気なご婦人Kさんです。
雲さんたちの柱です。Nさん,Kさんもいますね。
ムキンポさんも参加されていますよね。
ムキンポさんのページに写真が掲載されていました。
皆で16名の意思表示。
皆さんの心の中に私の気持ちを置いていただいているので、一緒に立ったようなそんな気持ちがしています。
次回、意思表示3年目に入る土曜日は、兄の思いも一緒に立ちます。(おおきせいこ)
何時も静かに本を読まれ、6時になると言葉をかえて毎週立たれるご婦人。
今日の言葉は・・・・。
Sさん、Aさん、フライパンさんの柱です。(この写真は誰がシャッター押したの!)
Oさんと辺野古から帰っていらしたTさん、辺野古支援で意思表示です。
今日は、新しい方が立たれたようですね。素敵!!
Cさんは、DAYS JAPANを持って立ちました。今号は、周 香織さん撮影の写真もあります。クルド人難民の特集が掲載されています。
焼け野原になった戦争の悲惨な体験を語って下さいます。元気なご婦人Kさんです。
雲さんたちの柱です。Nさん,Kさんもいますね。
ムキンポさんも参加されていますよね。
ムキンポさんのページに写真が掲載されていました。
皆で16名の意思表示。
皆さんの心の中に私の気持ちを置いていただいているので、一緒に立ったようなそんな気持ちがしています。
次回、意思表示3年目に入る土曜日は、兄の思いも一緒に立ちます。(おおきせいこ)
意思表示2年目最後の土曜日、兄は旅立ちました。大木晴子
1943年9月1日生まれの兄、山本良夫は2005年1月最後の土曜日29日の朝、たくさんの優しい言葉と温かい眼差しに包まれ天国へ旅立ちました。私と五つちがい、強い信念を持ち正義感のある素敵な兄でした。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=302
私は前日28日に、義姉が疲れてはと思い夕食用の総菜を作り兄の家を訪ねました。この時も兄が仕事をしている「ゆきわりそう」のお仲間が数人ベッドを囲み容態が急変した兄の側で細やかな看護をして下さっていました。
暫くして連れ合いも一緒に兄の家で過ごすことを決め、兄を見つめ、語り合う時間にしたいと強く私は心の中で願いました。
兄は、朝から胃液のようなものを出し続けていました。私が行ってからもしばらく続いていましたが、それが止まると少し喉の奥がゼイゼイして苦しそうな状況に訪問看護の看護婦さんに吸引が出来る状態を整えていただきました。義姉や二人の息子たちが交代でその役目をしました。私は、吸引はそんなに長くはしないと思いました。それは、10年前、私の手の中で息を引き取った先代次郎の時と似ていると思ったからです。そうあの時も次郎は朝から上からも下からも自分の力を振り絞り身体の要らないものを出し切って穏やかに息を引き取りました。何だかその時を思い出していました。
兄は時々無呼吸になり、「山本さん、息をして!!」皆に声をかけられはっとしてまた呼吸をしました。何度も何度も・・・・。
ゆきわりそうのお仲間は、交代で兄に会いに次から次に・・・何十人も・・・。
皆さん、兄の手をとり「山本さん、ありがとう」と言葉をかけてくださいました。なんて、幸せな人なんだろう・・・・。
そして海を越えた韓国からも電話が入りました。ゆきわりそうで学び韓国で就職した娘さんから電話越しに声をかけてもらいました。
「山本さん、頑張って!!」兄は、言葉にはなりませんがわかっているのだろうと思える「うぉー、うぉー」と口を動かしていました。
電話の向こうでは、泣きながら呼びかけをしていただいたようです。
私は「良ちゃん、素敵だね、良かったね。」と心の中で叫んでいました。
兄が愛した柴犬タドちゃんも「今日は、何だか変だなぁー」と思っているようでした。飼い主の異変を小さな身体で表現をしている姿が何とも哀しく愛おしく思いました。「タドちゃん、ありがとう。」と私は顔が会うたびに声をかけていました。
幸せな兄の歩みは、敏江さんの大らかな優しさがあったから出来たことだとこの二日間ではっきりとわかりました。
義姉は、兄にたくさんたくさん声がけをしました。敏江さんも兄と同じく揺るがない平和への歩みを続けている人。その思いがお互いの生き方を支えあい励ましあい今のこの素晴らしい意思表示に繋がっているのだと確信に近い思いを感じました。
「敏江さん、ありがとう。」と言い尽くせない思いです。
泊まり込んだ人たち皆に見守られて、兄は29日、朝の日差しが入り始めた9時18分に穏やかに61歳の生涯を終えました。
昨年のミュージックパーティで着たお気に入りの服に着替えて旅立ちました。さだまさしさんの歌、「防人の詩」を聴きながら・・・。
そして、枕元には姪から届いた本「シベリア鎮魂歌・香月泰男の世界 立花隆著」が置かれていました。
この本は、数日前に見舞いに来た二番目の兄がとても良い本だと勧めたものです。その話を聞いたその兄の娘が兄にプレゼントしてくれたものでした。
この姪が言いました。
「良夫おじちゃんが昔、おばあちゃんの家の台所でさだまさしさんの曲を歌ってくれたことを思い出します。
お姉ちゃんと私が大人達の話しに入れず退屈していたときこっそり台所に呼んで腰掛けて話しをしてくれて歌ってくれたのです。
その時のことはとても印象に残っていて、照れながらもなんと素敵な人だろうと思ったものです。」とメイルで送ってきました。
この本は、息を引き取った数時間後に届きました。
(おおきせいこ)
西口ひろばで「コロッケ屋さん」 大木晴子
金曜日の夜は、ページの更新もしたいしコロッケの下ごしらえもと忙しい時間を過ごしました。
でも北海道から送られて来たじゃがいものメークインは、可愛くて優しくて、
心地よく育てられて来た事が伝わってくるようなそんなおいもでした。
久し振りに50?60個を拵えるので分量や味付けに緊張しながら楽しい作業でした。
ジローは、羨ましそうに見ていますが合い挽きの牛肉(ジローは、牛肉アレルギーなのです)や
そして犬には絶対駄目な玉葱がたくさん入っているので「ここは、鬼になり」
何度も目が合っても優しく「駄目よ!」と言い続けました・・・・
「いいにおいだもんね。食べたいよね」・・・ガマンガマン!!
何故、西口にコロッケとおもわれますよね。それは、このメークインは
「西口にエールを送ります。」と優しい,温かい心と一緒に送っていただいたおいもです。
北海道のSさんありがとうございました。
皆さんに、新宿西口地下ひろばでメークインの甘さが活きた私のレシピに掲載している
「マカロニ入りコロッケ」を楽しくいただきました。
そして皆さん、お土産にお持ち帰りでした。
帰りは、軽くて嬉しい!!実は、このコロッケを持って西口に行く前に府中で行われた
「ぬちどぅ 魂の声」
(ドキュメンタリー・カラー・97分/2004年作品・西山正啓監督/音楽ウォン・ウィンツァン)
上映と辺野古からの報告会へ・・・・。
http://www.coara.or.jp/~yufukiri/tamasinokoe/
(「ぬちどぅ 魂の声」の公式サイトです)
報告者は、辺野古の民宿「風くくる」のカヌー隊で頑張っている阿部和子さんです。
阿部さんは、聞く私たちが辺野古の様子を思い浮かべることが出来るようなわかりやすい話し方で
怪我をされた時の様子なども折り込み報告をしていただきました。
会には、先日まで辺野古へ支援に行っていたTさんも参加、お二人にも
Sさんのメークインを食べていただきました。
「ぬちどぅ 魂の声」の記録映画は、残念なことにコロッケ作りに時間がかかり、
途中から・・・。再度機会を見つけてみ直します。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=67
上記のページに書きました「草の根通信」を書き続けられた昨年6月亡くなられた
社会派作家松下竜一さんの貴重な映像に感激しました。
機会をつくり、ぜひ見つめてほしい記録映画です。
会の途中でしたが、5時から西口でカザンキランさんとその家族を支援する署名を
集めたいので急いで新宿へ向かいました。
もちろん、この会場でも休憩時間に署名をお願いしました。
5時地上小田急前、立ち始めるとCさん、Oさん、雲さん、Yさんとだんだん人が増えて行きます。
無関心な人・人・人・・・。
黙っていたら「戦争はイヤ」と言わなければ、賛成の数の中に入ってしまうことに気がつかない人たち・・・・・。
それで本当にいいのですか。そう思っているうちに、「無関心で生きるのやめましょう。
自分の住んでいる日本を神経を研ぎすまして見て下さい。
クルド難民、カザンキランさんと家族を救う署名です。」と声を出していました。
署名は、数名の方々でしたが、「ほんとうに、酷い事を」と言われながら書いてくださいました。
コロッケは、西一さんにも食べていただきました。
6時、大切なコロッケを持って地下広場へ。
ご住職のFさんが立たれています。「明日も晴れ」のバンダナをして!
皆さんもバンダナいかがですか。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=174
信じられないお金をかけて行われた就任式Nさんは、ブッシュで意思表示でした。
Sさん、Cさん昨日から署名集めに頑張っています。
レインボーのKさん、雲さん。
今夜も優しい笑顔で体験を語っておられたKさん。
Aさんは、「平和」のバンダナを持って、ジローの「戦争はイヤだ」は、
大切なコロッケの上で番をしてくれました。
あっ、私とムキンポさんの写真が無いなぁー。
11名の意思表示、それから美大の学生さんが『平和」をテーマに
研究中とか話を聞きにみえていました。
次のときは、立ちますと言われて・・・・。待っていますー!!
ガードマンさんが「今日はいないの!このワンちゃん」と・・・・・。
7時、意思表示が終わりました。次の予定があるFさんは「一つ食べて行く」と
言われてその場でパクリとコロッケを頬張りました。
続いて皆さんも・・・・。
残りは、用意したパックにつめて、お持ち帰り!!
暫く、ひろばは、楽しいコロッケ屋さんみたいでした。(おおきせいこ)
何が自分に出来るかなぁー!カザンキランさんのこと!!大木晴子
カザンキランさんの娘さんが通う学校の先生が中心になって
「トルコへ強制送還されたクルド人と残された家族の安全を求める」
緊急署名が動き始めました。
新宿西口で意思表示しているSさんも用紙に工夫こらして呼びかけをしやすいように
今朝、メイルで送って下さいました。
私は少し体調を崩してドガーンさんの支援に行かれませんでしたが
彼は無事というムキンポさんのサイトの報告を読みホットしています。
(後日、レシピで書きます。美味しいです。)
昼近く、兄が食べたいと言っていた「お母さんがよく作った
“柚みそ”」記憶をたどりながら拵えて届ける事にしました。
大急ぎで署名用紙をプリントして、プラカードを拵えました。
「トルコへ強制送還されたクルド人と残された家族の安全を求める」緊急署名です。
“私も”と思われたら声をかけてください。と書いて持つ事にしました。
残念ながら兄の家に着くまで一度も声はかけていただけませんでしたが、
署名用紙に書かれた文章は読んでいただけたと思います。
一人、若者が迷いながら何度も読み返していました。
降りる駅が近づいたので一枚送り先のファックス番号を添えて署名用紙を渡しました。
送って下さると良いなぁー・・・。
兄は、丁度姉に手伝ってもらいお気に入りのシャツに着替えるところでした。
我が家と同じ柴犬タドが病んでいる主を優しい眼差しで見つめている姿に
「タドありがとう」と何度も心の中で声をかけていました。
兄は、持って行ったプラカードを見て直ぐに署名をそして家族で署名を
更に用紙を5枚置いてきました。感謝!!
各地の皆さん、署名用紙をプリントして、家族で書いて送ってください。
http://homepage3.nifty.com/kds/
http://www.mkimpo.com/diary/2005/kurd_2fam_2005.html
締め切りは、1月24日(月)の朝、9時に提出するため、
23日(日)深夜24時までにお送りください。
緊急です。大切な命がかかっています。周りの皆さんで話してください。
お願いいたします。(おおきせいこ)
カザンキランさん、ラマザン君が強制送還されました。大木晴子
もう昨夜になりました。法務省前でもトルコ大使館前でも空には美しい半月が見られました。
私はカザンキランさんたちの無事を願い彼が何時も胸に付けていた
「平和」のバッジをつけて支援の輪の中にいました。
(昨年の国連前座り込みの時に、カザンキランさんの娘さんに頂いたトルコのピンです。
何時も大切に「明日も晴れ」のバンダナをとめています。)
今、19日午前2時半を過ぎました。まもなく、カザンキランさんたちを
乗せた飛行機はトルコに着きます。
どんな気持ちでどのような扱いを受けて機内で過ごされているのかと心が落ち着きません。
昨年の国連ビル前での様子が思い起こされ死をかけて闘おうとした
カザンキランさんなのでとても心配です。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=256
クルド人難民のカザンキランさん、ラマザン君が本日、午後2時25分の飛行機で、
トルコに強制送還されました。
彼らは、国連が認めた、マンデート難民です。
残りの家族についても、次の出頭日に収容し、強制送還すると法務省は言っています。
法務省前での抗議は、私たちの気持ちをしっかりと話しました。
応対したIさんは、必ず上司に伝えると約束をしました。
本当にお願いします。大切な「命」に関わることです。
二人は、2時55分にイスタンブール空港に着きます。
その場で拘束・連行され、殺される危険性があります。
送還された2人の命を守るため、法務省への抗議の後、原宿に近いトルコ大使館に、
支援者31名で強制送還された二人を迫害しないよう要請行動をしました。
大使館に着き、暫くするとパトカーがサイレンを鳴らして来ました。
大使館側からの要請で来たということでした。
みんなでメッセージを持ち8時30分までの時間抗議行動をしました。
連名で二人を迫害しないよう要請文をポストに投函しました。
(写真撮影・周 香織さん)
私は、平和のバンダナで作った旗を持って道に立っていました。
車で通る人も反対側を歩く人も眼を止め見て行きました。
カザンキランさんは、「平和」という言葉が好きです。
誰もが思う「平和」な暮らしを求めていました。
それがいけないことなのでしょうか。
カザンキランさんの眼は何時もキラキラと輝いていました。
私は、生き方を熱く語る彼の言葉が大好きでした。
皆さん、神経を研ぎすましてください。
これは、私たちが住んでいる国の出来事です。(おおきせいこ)
ムキンポさんのサイト、クルド人の皆さんを支援するサイトに
写真そしてこれからの支援予定など掲載されています。
http://www.mkimpo.com/diary/2005/kurd_2fam_2005.html
http://homepage3.nifty.com/kds/kds_015.htm