(辺野古と連帯して行われている、国会前座り込みのプラカード)
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オランオランさん「辺野古通信」04-08-10
早朝、ものすごい雨でした。
いつものように7時前に海岸につき、とりあえずテントを立ち上げることに。10人から15人の人が朝早く駆けつけています。
4張りのテントをあげ、シートを敷とゴザを敷き、諸々の諸準備が大勢の手であっという間に完了します。
今日は台風がくるということで、様々な風、雨対策を、沖縄の人は慣れたもので、あちこちの補強がされていきました。
ところが、海岸沿いは予想以上の風・雨で椅子がひっくり返ったり、雨が吹き込んだりで、テントの撤収を決定。雨がやんだ合間に、テントの撤収作業。これが結構大変でした。
近くの「団結小屋」に避難して、そこで座り込み。
防衛施設局が嵐の中来ました。
辺野古の一日はテントを張ることから始まります。
もちろん、座り込みは緊張を強いられるものです。
でも、一日の中でさまざまなことがあります。
時々、みなさん、お疲れでしょうと、ヨガが始まります。
3?40人ぐらいの人たちが、テントの中に立って、30分ぐらい体をほぐします。私はこのヨガの先生の家に世話になっています。
昨日は、三線を持ってきている人がいて、私も少し教わりました。
今日は、嵐のため、狭いところで座り込み、ゴーヤを作っている人から、ゴーヤの作り方と、パイナップルの話を聞きました。
パインは「松」という意味で、松ぼっくりのような実の表面からパイン・アップル=パイナップルというそうです。
うちなーぐち(沖縄語)だと、「あんぷらー」です。
今日はクイズの賞品として立派なパイナップルとゴーヤをもらいました。
差し入れもいろいろあります。
ゴーヤや紅芋のテンプラや、スイカ、キャンデー、ゴーヤのつけもの、黒糖、パンといろいろ差し入れられます。
(8月10日、3回目の通信です)
気まぐれに届くようです。
防衛施設局は私が来てから2回来ました。1回目(通算29回目)は先週5日の木曜日でした。
8人で、作業服のようなものを来てヘルメットをかぶってやってきます。座り込みは4つのテントで、一つが見張り小屋のような役割を果たしています。そこに詰めているリーダー格の人たちが対応します。その他の30人ぐらいのメンバーは、座り込んで、セットしてあるスピーカーから流れてくる会話を聞いています。
いろいろな約束ごとがあり、大勢で対応すると声が荒くなり、機動隊の導入にもつながる、と、「完全非暴力」の取り決めをいくつかしています。
リーダーの対応がうまくいかなくて、強行に突破してくるようなら、道路にスクラムを組んで座り込むことになっています。スクラムの練習もしたようです。ゴボウ抜きにされたら、スクラムで持って行かれないようにする。それでも引き抜かれたら、また後ろに並ぶ。
さらに、船をだすようだったら、カヌーを練習した人たちが阻止する。それが間に合わなければ、ライフジャケットを着て、船の前に飛び込む、という段取りになっています。これも、力対力ではなく、一番弱い者が抵抗しても蹴散らすのか、という抗議を込めて、力のないカヌー、そして(屈強の若者ではなく)72歳の女性(夏芽さんのお母さん)や中高年が担うとのことです。
単なる約束ごとではなく、4月の19日には本当にこのようにして、実力で阻止したようです。
話は、道路に座り込んで、テントの外で1時間ほど行われます。炎天下、大変なことを体で感じてもらうため、わざわざ、テントの外でやるようです。普天間基地をここに移転しても決して沖縄の負担軽減にならないことや、15年で返還するという前提が既に崩れていることやなどをこちら側が展開して、防衛施設局はまともには返答できず、「もう来るな」というのに対し、「立場上また来ます」「強行するつもりはない」「お願いに来る立場」と繰り返す。
本土(こちらの人はヤマトという)ではあり得ない光景でした。
今日は、4月29日に強引に作ろうとした、資材置き場を台風対策のため、見たいということでやってきた。台風のため、待避していた、「団結小屋」から座り込んでいた二十数名が移動して座り込む。
人数限定で通すということになり、立ち会いのもと、施設局と請け負い業者が点検にくる。写真を撮ったり、10分ほどで帰る。
泊まっているところは、辺野古の近くの座り込みに参加している人の家です。さとうきび畑に囲まれ、ヤギの鳴き声が聞こえ、海の見える所です。今は台風接近でものすごい風です。明日が台風通過です。(オランオラン)
オランオランさん「辺野古通信」そして東京。 大木晴子
辺野古の応援に行っているオランオランさんの通信システムが調子が良くありません。(おおきせいこ)
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「オランオランさんの通信」
ずっとうまく送れないでいます。すわりこみは今日で113日になりました。昨日は那覇で集会がありました。隣の伊芸というところに新たに都市型訓練施設を作るということで、町を挙げて連日早朝集会をやっています。昨日は那覇で1500人ぐらい集まりました。小学生ぐらいから総出で署名活動をしていました。
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沖縄に連帯して、東京でも行動が行なわれています。
国会前では、土日を除く毎日(月曜日から金曜日まで)午前8時から5時まで座り込みで抗議行動が行われています。少しの時間でも参加してください。
同じ思いの人たちが更に絆を強く持ち平和へ続く道を共に歩いていきましょう。今月末までは、続けられます。
沖縄の平良夏芽さん とバトンタッチ、弟の平良愛香牧師が皆さんと一緒に頑張っておられます。
「明日も晴れ」のバンダナを買ってくださり、直ぐに使っていただき感謝です。
8月9日、辺野古座り込み113日目も、東京防衛庁・施設庁前で毎週月曜日の抗議行動が行われました。
私も参加してきました。
詳しくは、「沖縄・一坪反戦地主会」のページをご覧下さい。
http://www.jca.apc.org/HHK/
★追伸
この一週間で、私のページを新しく訪ねて下さった方が1125名(Sitesは30203)、アクセスは3502増えて80819になりました。
毎日送られてくるデータを見ながら考える事がたくさん増えます。
皆さん、いま真剣に社会を見つめなければ・・・。
子どもたち、お年寄りが安心して幸せに暮せる世界は、誰にとっての心地の良い
はずです。自分にできること、家族で考えられること、職場でそして恋人同士で
考えられることを・・・・。
背筋を伸ばして、大きく深呼吸をして、草木や青空、太陽、星そして月も見つめてください。私たちはどんなに自然の恵をもらって過ごしているか気づきましょう。そうすれば、美しい沖縄の海を埋め立ててサンゴを殺して、ジュゴンの住む海を基地にすることは出来ない、人を殺しに行く戦闘機が飛び立つ基地はいらないと思えるから・・・。(おおきせいこ)
(関西のNさんから届きました。少しお身体を悪くされていましたが、明かるい向日葵を描いていただきとっても嬉しいです。)
「私の原爆忌」 大木晴子
8月6日の夕刻に、「私の原爆忌」とタイトルがついたメイルが届きました。そこには・・・。
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みなさんへ、
被爆体験を描き続ける、画家の今口賢一さんの展覧会に
行って来ました。相次いで被爆体験を共有する仲間達が
他界して、「今描いておかなければ」と、封印していた記憶と
向き合い、20年前から絵にしはじめたといいます。
今日のように炎天だったあの日、国民学校一年だった彼は
朝礼で、校庭に並んで、教頭の話を聞いていました。
ピカドンの瞬間、前にいた級友が火だるまになって吹き飛び、
自分も校舎の中へと一緒に飛ばされたといいます。
瞼に焼き付いて離れなかったその級友の姿をはじめ、記憶の
数々が油絵となっていました。ギャラリーの広い室内中に、
4畳半もあろうかという「水をください」を中心に、20点程が
掲げられ、まるであの日の広島の惨状の只中に立っている
ように感じました。うめき声、叫び、泣き声、炎の音…。あの日の
音が室内に満ちていました。
最初の一枚は描きあげるのに10年かかったといいます。
搾り出すような今口さんの被爆体験を、精一杯受けとめ、
しっかり抱え込んで帰って来ました。
(町田市国際版画美術館 8日までJR町田駅から徒歩15分)
「鎮魂のために描きはじめたが、今では二度と惨禍を起こさぬ
ようにと亡くなった人たちに叱咤され、励まされて描いている」
という言葉が、重く印象に残りました。
村雲
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私は7日の土曜日の午後、伊勢原の兄を見舞う前に町田で降りる事にしました。小田急線町田駅から徒歩20分くらい、木立が夏の暑さに嬉しい芦ヶ谷公園の一角にある「町田市国際版画美術館」へ急ぎました。着く前には5時過ぎの新宿小田急前の意思表示に間に合うようにと考えていましたが、今口賢一さんの展覧会でその一時間を過ごすことになりました。
仏画としての第一部作と言われている作品の手前に小さな二枚の絵が・・・。私の青春時代に見た風景です。一枚は「新宿スカラ座」そしてフォーク集会の後、よく鯨カツを食べに行った「新宿しょんべん横丁」の絵でした。
そして、一歩進むとそこには、今口さんがお母様の死をきっかけに被爆絵図を描き続けている大作がならんでいます。一枚一枚の絵から聞えて来る声をゆっくりと受け止めたいと思いました。絵の隅々から今口さんの思いが、そこに描かれている人々の叫びが伝わってきました。
実像に近い第二部作までの展示でした。今口賢一さんは、これから残された時間を肉体と精神のすべてをかけてキャンバスに力をそそぎ、第三部作を完成したいと「最后の個展」と題して書かれていた言葉を書き写しているとご本人からコピーをいただき力強い字でサインまでしていただき、見つめ合ってお話したその眼は美しく光輝いていました。
美術館を出ると木立の下で幼子たちが楽しげに遊んでいます。この子達の未来にあの忌まわしい出来事が繰り返すことがないように祈りながら伊勢原の病院へ急ぎました。
病室には、ゆきわりそうの皆さんからおくられたエールの言葉が貼られていました。
さぁー新宿へ向かいます。
電車の中は、相模川の花火大会へ行く浴衣姿の若い娘さんたちが大勢乗っていました。思うのですが、若いのですから素顔の美しさを活かしてお化粧などをした方が輝いて見えるのではと老婆心が・・・。
そこで、予告です。1970年代に科学的根拠の全くなかった、美顔洗顔器が流行りました。その頃に「徹子の部屋」に出られた吉永小百合さんがご自分で考案された洗顔方法(お金のかからない)を話されました。私は、その日からずつと毎日かかさず行なっています。
近く、「私のエッセイ」でご紹介します。お楽しみに!!
さてさて、西口です。5分前に地下広場に着きました。
プラカードを入れている袋を丸い柱に立て掛けると直ぐに何時ものアナウンスが始りました。地下広場の意思表示です。
雲さんがKさんがそして千代さん、Hさん、Oさんと次々に増えていきます。数えるのをわすれました・・・多分15名ぐらいです。
ご住職のFさん、新しい言葉です。
今日の言葉は・・・。
Hさんは、いつも訴えています。
千代さんのプラカードは、この8月の広場ではたくさんの皆さんの心に響く言葉ですね。
6日の広島に「核兵器なくそう女性のつどい 2004」に、呼びかけ・賛同人として参加された渡辺一枝さんは、「一枝通信」で書かれています。
「広島市の秋葉忠利市長の平和宣言は、昨日の夕刊にも載りましたからみなさん読まれたかと思います。
本当に心にしみる言葉でした。このような人が国の首長であればいいのにと、心底おもいました。会場から拍手が沸き起こりました。
子ども代表が「平和の誓い」を読み上げ、これにも大きな拍手。
来賓の最初に小泉首相が挨拶をしましたが、挨拶終えても誰一人まったく誰一人拍手する人はいませんでした。それどころか私の周りではみな口々に「しらじらしいことを」「犠牲者の気持ちをわかってるのか」などなどの声が漏れていました。マスコミがこの事実をもしっかりと報道すればいいのにと思っていたのですが、報じられませんでしたね。本当に見事に無視された感のある首相挨拶でした。」・・・・と。
明日は、長崎忌です。(おおきせいこ)
神奈川新聞に掲載!「バクダット・バーニング」
「バクダット・バーニング(バグダッドは燃えている)」の紹介が神奈川新聞に掲載されました。翻訳をされたお一人、山口陽子さんそして素晴らしいイラストを描かれた村雲 司さんが写真入りで紹介されています。
この本をたくさんの皆さんに読んでいただきたいと神奈川県内でお仕事をされているお二人がリバーベンドさんの思いを伝えました。
(おおきせいこ)
「意見広告」が8月6日、広島原爆投下日。
毎日新聞、東奥日報、河北新報 3紙同時に掲載されました。
☆意見広告の事務局の皆さん、
グラフック・デザイナー鈴木一誌さん、スタッフの皆さん
お疲れさまでした。心を繋げて意思表示が出来たこと嬉しいです。
ありがとうございました。
http://www.ikenkoukoku.jp/
「意見広告」のページでダウンロード出来ます。
プラカードなど意思表示に活用出来ると思います。
私も土曜日の意思表示に持ちたいと思います。(おおきせいこ)