様々な行動が行なわれた3月最後の土曜日! 大木晴子
(白モクレンの花が届きました。いつも素晴らしい絵を送って下さる関西のNさん、近所の方や友人に「憲法改悪に反対し、九条を守ろう」という署名活動を始められたとメッセージです。この方は、朝日新聞に西口の記事が掲載されてから林檎、栗、水仙、シクラメンなど季節を送っていただき、西口の活動にエールを送っていただいています。)
東京は久し振りに青空。元気がないジローとゆっくり散歩しながら今日は、イスラエル大使館への抗議行動や「劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク」の立ち上げ集会もそして西口での意思表示の日。
身体がたくさんあればみんな参加したいなぁー。
洗濯・掃除など家の用を済ますと私は、恵比寿の東京都写真美術館へ急ぎました。アフガニスタン映画「アフガン零年」を観たかったのです。この映画は、次のニュースでご紹介します。
複雑な重い投げかけに胸の痛みを感じながら春休みだからですね何時もより人出の多い恵比寿の街を歩くとその気持ちは更に大きくなり「平和」のこの二文字にこだわって運動を広げられたらと思いました。
「何が私に出来るだろう」
5時過ぎ、新宿小田急前では大学生の皆さんが劣化ウラン兵器禁止の署名活動をしていました。私が書いた署名用紙には、二人前に雲さんの名前がありました。もう立ち始めていた雲さんのプラカードは、「戦いから生まれるのは 悲しみと恨みだけ 9条の心を世界へ」でした。(フォトアルバムに掲載しています)
今日の西口は、イスラエル大使館への抗議行動に行かれた方も多く地上は雲さん、Kさんと私の3名でした。
6時地下広場に降りると、ご住職のFさんや今度の選挙までこのプラカードで頑張るとAさんが居られました。
会社帰りに立たれた男性、そして毎回メッセージを替えて書かれているご婦人のスケッチブックは、素敵な宝ものですね。
今日は、5?6人ぐらいかなと思っていましたが、一人また一人と増えて12名での意思表示でした。
イスラエル大使館前の抗議行動に参加して西口に駆けつけたYさんの報告を聞くとたくさんの皆さんが集まり抗議の声を!
ここでもレインボーの旗がたくさんあったようです。
http://www.mkimpo.com/diary/2004/israel_palestine_peace_now_04-03-27.html
今日の立川テント村へのカンパは、行き交う人たちからのカンパはありませんでしたが、雲さんから20日の集会・デモで「雲さんの平和のバッジ」を販売した収益を入れていただいたり、ご高齢の西口参加者ご婦人からまたKさんは、劣化ウラン廃絶キャンペーンの「劣化ウラン弾」ってなに?を販売して「よく売れたから」と言ってカンパ、臨時収入があった私もカンパ、合計10628円になりました。月曜に「立川自衛隊監視テント村」へ送金します。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=129
今日は、西口が終わると大江戸線で春日へ雲さん、Kさんそしてご高齢なのに凄く元気ご婦人も一緒に「劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク」の立ち上げ集会へ参加するため急ぎました。
文京区民センター3階会議室は300人ぐらいの人でいっぱいでした。途中参加でしたが、落ち着いたその集まりは、事前の準備に皆さんの思いを感じることの出来る素晴らしい立ち上げ集会でした。
私もその場で賛同の手続きをしてきました。この運動にも参加し、劣化ウランについても学んでいきたいと思います。これから勉強会もあるようです・・・皆さんも一緒にいかがですか。(詳しくは、リンク集たんぽぽ舎を見てください)(おおきせいこ)
(白モクレンの花が届きました。いつも素晴らしい絵を送って下さる関西のNさん、近所の方や友人に「憲法改悪に反対し、九条を守ろう」という署名活動を始められたとメッセージです。この方は、朝日新聞に西口の記事が掲載されてから林檎、栗、水仙、シクラメンなど季節を送っていただき、西口の活動にエールを送っていただいています。)
東京は久し振りに青空。元気がないジローとゆっくり散歩しながら今日は、イスラエル大使館への抗議行動や「劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク」の立ち上げ集会もそして西口での意思表示の日。
身体がたくさんあればみんな参加したいなぁー。
洗濯・掃除など家の用を済ますと私は、恵比寿の東京都写真美術館へ急ぎました。アフガニスタン映画「アフガン零年」を観たかったのです。この映画は、次のニュースでご紹介します。
複雑な重い投げかけに胸の痛みを感じながら春休みだからですね何時もより人出の多い恵比寿の街を歩くとその気持ちは更に大きくなり「平和」のこの二文字にこだわって運動を広げられたらと思いました。
「何が私に出来るだろう」
5時過ぎ、新宿小田急前では大学生の皆さんが劣化ウラン兵器禁止の署名活動をしていました。私が書いた署名用紙には、二人前に雲さんの名前がありました。もう立ち始めていた雲さんのプラカードは、「戦いから生まれるのは 悲しみと恨みだけ 9条の心を世界へ」でした。(フォトアルバムに掲載しています)
今日の西口は、イスラエル大使館への抗議行動に行かれた方も多く地上は雲さん、Kさんと私の3名でした。
6時地下広場に降りると、ご住職のFさんや今度の選挙までこのプラカードで頑張るとAさんが居られました。
会社帰りに立たれた男性、そして毎回メッセージを替えて書かれているご婦人のスケッチブックは、素敵な宝ものですね。
今日は、5?6人ぐらいかなと思っていましたが、一人また一人と増えて12名での意思表示でした。
イスラエル大使館前の抗議行動に参加して西口に駆けつけたYさんの報告を聞くとたくさんの皆さんが集まり抗議の声を!
ここでもレインボーの旗がたくさんあったようです。
http://www.mkimpo.com/diary/2004/israel_palestine_peace_now_04-03-27.html
今日の立川テント村へのカンパは、行き交う人たちからのカンパはありませんでしたが、雲さんから20日の集会・デモで「雲さんの平和のバッジ」を販売した収益を入れていただいたり、ご高齢の西口参加者ご婦人からまたKさんは、劣化ウラン廃絶キャンペーンの「劣化ウラン弾」ってなに?を販売して「よく売れたから」と言ってカンパ、臨時収入があった私もカンパ、合計10628円になりました。月曜に「立川自衛隊監視テント村」へ送金します。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=129
今日は、西口が終わると大江戸線で春日へ雲さん、Kさんそしてご高齢なのに凄く元気ご婦人も一緒に「劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク」の立ち上げ集会へ参加するため急ぎました。
文京区民センター3階会議室は300人ぐらいの人でいっぱいでした。途中参加でしたが、落ち着いたその集まりは、事前の準備に皆さんの思いを感じることの出来る素晴らしい立ち上げ集会でした。
私もその場で賛同の手続きをしてきました。この運動にも参加し、劣化ウランについても学んでいきたいと思います。これから勉強会もあるようです・・・皆さんも一緒にいかがですか。(詳しくは、リンク集たんぽぽ舎を見てください)(おおきせいこ)
明日も晴れのリンク集に、アメリカ陸軍家族のウェブサイトを掲載しました。
アメリカのベトナム戦争で闘った退役軍人からイラク駐留兵士宛の手紙です。長文ですがぜひお読みください。
そのサイトの記事の日本語訳をここに掲載いたします。
転載・転送・大歓迎■だそうですのでご自由にお使いください。
(おおきせいこ)
《一退役軍人によるベトナム戦争従軍回顧・懺悔録》
【人間らしさを手放すな】
アメリカのベトナム戦争で闘った退役軍人からイラク駐留兵士宛の手紙です。
兵士たちよ、人間らしさを手放すな
・・・・・・・・・・・・・・・・・
スタン・ゴフ
11月15日
親愛なるイラク駐留の兵士たちへ
わたしは退役軍人だ。わたしの息子は空挺部隊員として、諸君とともにイラクに駐留している。
諸君一人ひとりが、イラクでさまざまな変化を経験していることが、わたしにはよくわかる。だからこの手紙では、兵士仲間のことばで、率直に意見を述べよう。
1970年、わたしは空挺部隊員としてベトナム戦争に派遣された。戦争に行く前までのわたしは、まわりから、でたらめな思想を植え付けられていた。テレビや映画からは、「男の中の男として生きるには何をなすべきか」を教わったし、ベトナムに一度も行ったことのない近所の人々からは、「ベトナムが共産化しないよう、米軍が戦わなくてはいけない」と教え込まれた。
われわれ米兵の使命は、「悪いベトナム人から、良いベトナム人を救う」ことであり、「悪いベトナム人が、カリフォルニア沿岸に攻め込まないよう」に彼らを叩きのめすことだった。
そのためにわれわれは駐留し続け、5万8000人の仲間が殺され、300万人のベトナム人を殺してしまった。
イラクの大量破壊兵器が米国を脅しているという話を最初に聞いたとき、「そんなことはありえない、湾岸戦争でさんざんに痛めつけられた後、12年間も経済制裁を受けているイラクが脅威だなんて、いったいどこの誰が信じるものか」と、あきれたものだ。
しかし30数年前、ベトナムがアメリカの脅威になっていると、自分も含めて、 ほとんどの米国民が信じ込んでいたのを思い出した。
大量破壊兵器のウソをでっちあげた政治家たちは、諸君が「偉大な解放者」として、イラクの民衆に歓迎されるだろうとウソをついた。政治家はベトナム戦争でも同じようなことを言ったものだ。ベトナムに民主主義を根付かせるのが、われわれ米兵の役目だとね。
わたしがベトナムに到着する前に、米軍はすでに村々を焼き、家畜を殺し、 畑や森に毒をまき、市民をスポーツ射撃の的とし、村人をレイプして虐殺していた。
ベトナム人被害者たちにとっては、現地に到着したばかりの自分と、すでに蛮行をふるっていた残虐な米兵たちとの見分けがつかない。政治家たちは、そんなことを何も言ってくれなかったから、現地でわたしは、たいへんな目にあった。
政治家たちが諸君に知らせなかったことが他にもある。
1991年から2003年の間に、150万人のイラク人が、栄養失調や医療不 備のせいで死んだことも、??話里蕕気譴討い覆?辰拭?修涼罎任癲△?紊ね 児の死者数は、50万人にものぼった。
いまイラクに駐留しているわたしの息子には、生後11ヶ月の赤ちゃんがいる。
とてもかわいい赤ちゃんで、わたしは孫の顔を見るのが楽しみだ。
同じように、諸君にも息子や娘がいるだろう。自分の子供を何よりも愛すること については、諸君もイラク人も変わりがないことに気がついただろうか?
自分たちの息子や娘を亡くしたイラク人たちは、50万人の幼児が死んだ原因が、 アメリカ政府にあるということを、かんたんには忘れないだろう。
だから、諸君がイラクで歓迎されるだろうというのは、あからさまなウソだった。
それは米国民に戦争を支持させるためのウソだったし、諸君の戦闘意欲を高めるためのウソだったんだ。
もし自分がイラク人の立場だったら、と考えたことがあるかな? 自分たちの町 が米軍に占領されたとしたら、米兵を歓迎する気にはなれないだろう。
われわれはベトナムでも、厳しい現実に直面していた。わたしは、もし自分がベトナム人だったら、「絶対にベトコンになって、米軍と戦っただろう」ということに気がついていた。
ベトナムでもイラクでも、自分たちの家族を無惨に殺され、財産を破壊され威信を傷つけられた人々が、侵略者を追い出そうとするのは当たり前だ。
米兵は、生きのびるために、自分たちに立ち向かってくる連中を殺さなくてはならない。こんな状況を作りだしたのは、ワシントンにいながら、高級ワインとキャビアを楽しんでいる、5千ドルの背広を着た政治家たちなのだ。
でも、われわれは、ワシントンにいる愛想のいい石油成金たちを、どうして止めたらいいのかまだわからないでいる。ということは、諸君は当分の間は、イラクに立ち往生するというわけだ。
わたしの経験からいうと、自分がベトナムで生きのびようと思ったら、残酷にふるまうしかないと考えるようになった。気が狂ったように家々に火をつけベトナム人に向かって見境なしに銃をぶっ放せばいいんだとね。「怒り」が役に立つと思った。信用できないヤツらをみんな憎んで、怒りをぶちまければ、内側にある恐怖心を覆い隠せると考えたんだ。
また、心の中にある罪悪感をなだめるために、やつらは人間なんかじゃないと思いこみ、彼らをグークス(ベトナム人に対する蔑称)と呼んだ。ちょうど諸君がイラク人たちを「ボロ切れ頭」とか、ハージ(イラク人に対する蔑称)と呼んでいるようにね。
昔のアメリカ白人が、黒人をリンチにかける前に、ニガー(黒んぼ)と呼んだのと同じことだ。
彼らを蔑称で呼ぶことで、人間性を剥奪したわけだ。
敵の「人間性」さえ剥奪すれば、泣いてるイラク人の赤ちゃんにだって、銃を向けることができる。でもそれは、自分の人間らしさを殺すことでもあり、そのことに気がついたときには、もう遅すぎるのだ。
自分の人間らしさを失って戦場で生きのびても、母国に帰ってからがまた苦しい。人間らしく生きられないのだ。
わたしの戦友たちは酒やドラッグにおぼれたり、精神病院に閉じこめられたりしている。また、自殺したり、家族や他人を傷つけたりする者もいる。
わたし自身、いまでも毎日を憤怒の中で生きている。他人にはそう見えなくても、怒りの発作は毎日わたしを襲っているのだ。
だからわたしは、諸君に言いたい。
諸君は生きのびるために、やるべきことはやる。しかし、どうか人間らしさを手放さないでほしい。他の粗野な兵士のように、男らしくなくてもいい。怒りと興奮にまかせて、めちゃくちゃな蛮行はしないでほしい。
ブッシュやチェイニーの強欲のために、諸君の人間らしさを犠牲にしないでほし いのだ。
米国の大富豪たちは、世界中のエネルギー資源を独り占めにして、世界の商売がたきをとっちめようとしている。それがこのイラク戦争の本当の意味だ。
メディアは諸君がヒーローだと持ちあげるけど、政治家は諸君を、銃を持った消 耗品として利用したいだけなのだ。
政治家たちは、諸君が吸い込む劣化ウラン弾に汚染された空気や、諸君の身心の痛みや、夜ごとうなされる悪夢のことなど、気にしてはいない。
政治家は諸君の福利厚生予算を減らし、原因不明の病気の存在を否定し、負傷兵や戦死者の姿をメディアから隠している。彼らこそ諸君の敵であり、平和の敵なのだ。
腹黒い大富豪や政治家は、泥棒と同じだ。彼らは「イラクから絶対に逃げ出さない」と息巻いているが、彼らはイラクにいるわけでもないので、逃げ出す必要もないではないか。
彼らは諸君から搾れるだけのものを搾り取って、利用価値がなくなれば、使い古したコンドームのように捨てるだけだ。だから、もし諸君の怒りが、それを発散させる相手を必要としているのなら、それを罪のないイラク人に向けないで、そういう状況を生みだした政治家たちに向けるといい。
わたしは諸君に、「命令に従うな」とは言えない。もしわたしがそう言えばたぶんそれは、違法行為になるだろう。
しかし、法に違反した命令に従わないという行為は、完璧に合法だ。そして「イラク市民を攻撃せよ」との命令は、違法なのだ。
諸君は、どんな状況にあろうとも、イラク人を憎む義務はない。また、どんな状況にあろうとも、自分の人間らしさを手放して荒れ狂う義務もないんだ。
どうか、五体無事で帰ってきてほしい。
どうか、正気のまま、帰ってきてほしい。
あなたを心から愛している人々が、ここで待っているのだから。
そしてあなたが帰ってきたとき、愛する人の顔を真正面から見られる人間であってほしい。
どうか、あなたの魂を、砂漠の砂の中に捨てないでおくれ。
どうか、人間らしさを手放さないでおくれ。
(翻訳・パンタ笛吹/TUPチーム)
アメリカのベトナム戦争で闘った退役軍人からイラク駐留兵士宛の手紙です。長文ですがぜひお読みください。
そのサイトの記事の日本語訳をここに掲載いたします。
転載・転送・大歓迎■だそうですのでご自由にお使いください。
(おおきせいこ)
《一退役軍人によるベトナム戦争従軍回顧・懺悔録》
【人間らしさを手放すな】
アメリカのベトナム戦争で闘った退役軍人からイラク駐留兵士宛の手紙です。
兵士たちよ、人間らしさを手放すな
・・・・・・・・・・・・・・・・・
スタン・ゴフ
11月15日
親愛なるイラク駐留の兵士たちへ
わたしは退役軍人だ。わたしの息子は空挺部隊員として、諸君とともにイラクに駐留している。
諸君一人ひとりが、イラクでさまざまな変化を経験していることが、わたしにはよくわかる。だからこの手紙では、兵士仲間のことばで、率直に意見を述べよう。
1970年、わたしは空挺部隊員としてベトナム戦争に派遣された。戦争に行く前までのわたしは、まわりから、でたらめな思想を植え付けられていた。テレビや映画からは、「男の中の男として生きるには何をなすべきか」を教わったし、ベトナムに一度も行ったことのない近所の人々からは、「ベトナムが共産化しないよう、米軍が戦わなくてはいけない」と教え込まれた。
われわれ米兵の使命は、「悪いベトナム人から、良いベトナム人を救う」ことであり、「悪いベトナム人が、カリフォルニア沿岸に攻め込まないよう」に彼らを叩きのめすことだった。
そのためにわれわれは駐留し続け、5万8000人の仲間が殺され、300万人のベトナム人を殺してしまった。
イラクの大量破壊兵器が米国を脅しているという話を最初に聞いたとき、「そんなことはありえない、湾岸戦争でさんざんに痛めつけられた後、12年間も経済制裁を受けているイラクが脅威だなんて、いったいどこの誰が信じるものか」と、あきれたものだ。
しかし30数年前、ベトナムがアメリカの脅威になっていると、自分も含めて、 ほとんどの米国民が信じ込んでいたのを思い出した。
大量破壊兵器のウソをでっちあげた政治家たちは、諸君が「偉大な解放者」として、イラクの民衆に歓迎されるだろうとウソをついた。政治家はベトナム戦争でも同じようなことを言ったものだ。ベトナムに民主主義を根付かせるのが、われわれ米兵の役目だとね。
わたしがベトナムに到着する前に、米軍はすでに村々を焼き、家畜を殺し、 畑や森に毒をまき、市民をスポーツ射撃の的とし、村人をレイプして虐殺していた。
ベトナム人被害者たちにとっては、現地に到着したばかりの自分と、すでに蛮行をふるっていた残虐な米兵たちとの見分けがつかない。政治家たちは、そんなことを何も言ってくれなかったから、現地でわたしは、たいへんな目にあった。
政治家たちが諸君に知らせなかったことが他にもある。
1991年から2003年の間に、150万人のイラク人が、栄養失調や医療不 備のせいで死んだことも、??話里蕕気譴討い覆?辰拭?修涼罎任癲△?紊ね 児の死者数は、50万人にものぼった。
いまイラクに駐留しているわたしの息子には、生後11ヶ月の赤ちゃんがいる。
とてもかわいい赤ちゃんで、わたしは孫の顔を見るのが楽しみだ。
同じように、諸君にも息子や娘がいるだろう。自分の子供を何よりも愛すること については、諸君もイラク人も変わりがないことに気がついただろうか?
自分たちの息子や娘を亡くしたイラク人たちは、50万人の幼児が死んだ原因が、 アメリカ政府にあるということを、かんたんには忘れないだろう。
だから、諸君がイラクで歓迎されるだろうというのは、あからさまなウソだった。
それは米国民に戦争を支持させるためのウソだったし、諸君の戦闘意欲を高めるためのウソだったんだ。
もし自分がイラク人の立場だったら、と考えたことがあるかな? 自分たちの町 が米軍に占領されたとしたら、米兵を歓迎する気にはなれないだろう。
われわれはベトナムでも、厳しい現実に直面していた。わたしは、もし自分がベトナム人だったら、「絶対にベトコンになって、米軍と戦っただろう」ということに気がついていた。
ベトナムでもイラクでも、自分たちの家族を無惨に殺され、財産を破壊され威信を傷つけられた人々が、侵略者を追い出そうとするのは当たり前だ。
米兵は、生きのびるために、自分たちに立ち向かってくる連中を殺さなくてはならない。こんな状況を作りだしたのは、ワシントンにいながら、高級ワインとキャビアを楽しんでいる、5千ドルの背広を着た政治家たちなのだ。
でも、われわれは、ワシントンにいる愛想のいい石油成金たちを、どうして止めたらいいのかまだわからないでいる。ということは、諸君は当分の間は、イラクに立ち往生するというわけだ。
わたしの経験からいうと、自分がベトナムで生きのびようと思ったら、残酷にふるまうしかないと考えるようになった。気が狂ったように家々に火をつけベトナム人に向かって見境なしに銃をぶっ放せばいいんだとね。「怒り」が役に立つと思った。信用できないヤツらをみんな憎んで、怒りをぶちまければ、内側にある恐怖心を覆い隠せると考えたんだ。
また、心の中にある罪悪感をなだめるために、やつらは人間なんかじゃないと思いこみ、彼らをグークス(ベトナム人に対する蔑称)と呼んだ。ちょうど諸君がイラク人たちを「ボロ切れ頭」とか、ハージ(イラク人に対する蔑称)と呼んでいるようにね。
昔のアメリカ白人が、黒人をリンチにかける前に、ニガー(黒んぼ)と呼んだのと同じことだ。
彼らを蔑称で呼ぶことで、人間性を剥奪したわけだ。
敵の「人間性」さえ剥奪すれば、泣いてるイラク人の赤ちゃんにだって、銃を向けることができる。でもそれは、自分の人間らしさを殺すことでもあり、そのことに気がついたときには、もう遅すぎるのだ。
自分の人間らしさを失って戦場で生きのびても、母国に帰ってからがまた苦しい。人間らしく生きられないのだ。
わたしの戦友たちは酒やドラッグにおぼれたり、精神病院に閉じこめられたりしている。また、自殺したり、家族や他人を傷つけたりする者もいる。
わたし自身、いまでも毎日を憤怒の中で生きている。他人にはそう見えなくても、怒りの発作は毎日わたしを襲っているのだ。
だからわたしは、諸君に言いたい。
諸君は生きのびるために、やるべきことはやる。しかし、どうか人間らしさを手放さないでほしい。他の粗野な兵士のように、男らしくなくてもいい。怒りと興奮にまかせて、めちゃくちゃな蛮行はしないでほしい。
ブッシュやチェイニーの強欲のために、諸君の人間らしさを犠牲にしないでほし いのだ。
米国の大富豪たちは、世界中のエネルギー資源を独り占めにして、世界の商売がたきをとっちめようとしている。それがこのイラク戦争の本当の意味だ。
メディアは諸君がヒーローだと持ちあげるけど、政治家は諸君を、銃を持った消 耗品として利用したいだけなのだ。
政治家たちは、諸君が吸い込む劣化ウラン弾に汚染された空気や、諸君の身心の痛みや、夜ごとうなされる悪夢のことなど、気にしてはいない。
政治家は諸君の福利厚生予算を減らし、原因不明の病気の存在を否定し、負傷兵や戦死者の姿をメディアから隠している。彼らこそ諸君の敵であり、平和の敵なのだ。
腹黒い大富豪や政治家は、泥棒と同じだ。彼らは「イラクから絶対に逃げ出さない」と息巻いているが、彼らはイラクにいるわけでもないので、逃げ出す必要もないではないか。
彼らは諸君から搾れるだけのものを搾り取って、利用価値がなくなれば、使い古したコンドームのように捨てるだけだ。だから、もし諸君の怒りが、それを発散させる相手を必要としているのなら、それを罪のないイラク人に向けないで、そういう状況を生みだした政治家たちに向けるといい。
わたしは諸君に、「命令に従うな」とは言えない。もしわたしがそう言えばたぶんそれは、違法行為になるだろう。
しかし、法に違反した命令に従わないという行為は、完璧に合法だ。そして「イラク市民を攻撃せよ」との命令は、違法なのだ。
諸君は、どんな状況にあろうとも、イラク人を憎む義務はない。また、どんな状況にあろうとも、自分の人間らしさを手放して荒れ狂う義務もないんだ。
どうか、五体無事で帰ってきてほしい。
どうか、正気のまま、帰ってきてほしい。
あなたを心から愛している人々が、ここで待っているのだから。
そしてあなたが帰ってきたとき、愛する人の顔を真正面から見られる人間であってほしい。
どうか、あなたの魂を、砂漠の砂の中に捨てないでおくれ。
どうか、人間らしさを手放さないでおくれ。
(翻訳・パンタ笛吹/TUPチーム)
PEACE旗広め隊のやまうちさんからお知らせメッセージです。
とっても素敵なぴーす旗です。付けて歩きましょう。私もジローも
拵えていただきました。(おおきせいこ)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆PEACE旗広め隊:胸に背中にバッグにワッペン♪☆
…ワッペン
*7×9cm PEACE文字:ピースマーク各 200円
*13×18cm 400円
裏の両面テープを取り替えることで あちこち貼りかえられます。
洗うこともできます。(そおっと付け置き洗いで)
…小旗 全長約55cm 旗部分13×18cm 1000円
写真はこちら
http://homepage.mac.com/dembo531/PhotoAlbum3.html
ごめんなさい。手作りなのでたくさんはできません。
大量注文には応じかねます。
ご要望の方はこちらに 枚数と送り先をお知らせください。
「ワッペンつけたい♪」
dembo531@yahoo.co.jp
とっても素敵なぴーす旗です。付けて歩きましょう。私もジローも
拵えていただきました。(おおきせいこ)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆PEACE旗広め隊:胸に背中にバッグにワッペン♪☆
…ワッペン
*7×9cm PEACE文字:ピースマーク各 200円
*13×18cm 400円
裏の両面テープを取り替えることで あちこち貼りかえられます。
洗うこともできます。(そおっと付け置き洗いで)
…小旗 全長約55cm 旗部分13×18cm 1000円
写真はこちら
http://homepage.mac.com/dembo531/PhotoAlbum3.html
ごめんなさい。手作りなのでたくさんはできません。
大量注文には応じかねます。
ご要望の方はこちらに 枚数と送り先をお知らせください。
「ワッペンつけたい♪」
dembo531@yahoo.co.jp
雨にも負けず!人びとは意思表示! 大木晴子
3月20日、変ですね。雨が降る時には、私の首は痛くなるのですが症状がなく、雨が降り出しました。
朝早くのジローの散歩の時間からです。
今日はジローの大好きな父さんが家にいてくれるので安心して「おにぎり」を抱えて日比谷公園へ向かいました。
10時前、いました、いました野外音楽堂前に遠くから参加のRさんが元気いっぱいの笑顔で・・・・。
一人、また一人と地下広場の時のように、気がつくともう10人ぐらいの人たちがそれぞれ知恵を出し合ってレインボーぴーす旗やバッジを販売する設営にとりかかりました。
準備が出来ると雲さんが旗をきれいに振り始めました。「道路工事のお人形さんみたい、カーレスの旗ふりのようね」みんな思い思いの言い方に爆笑でした。寒さに手がかじかんでも、びしょ濡れになってもみんな大らかに声を出し、平和への歩みに繋がるこのぴーす旗を広めようと頑張りました。
このお二人もKY生さんが作ってくれたプラカードを持って公園内を行商し、明るいお人柄がぴーす旗のイメージにピッタリでした。
寒さで手の感覚が無くなり、お釣り銭を取るのにも時間がかかるようになりました。でも向き合う人たちは、みんな笑顔でお互いにエールを送り合う、そのことがはっきりわかるイラクの人たちが攻撃されてから一年目の日比谷公園でした。
私は、「ホームページ見ていますよ」と何人もの方から優しく声をかけていただき幸せをたくさんいただいてきました。そのエネルギーをこれからの歩みに活かしていければと願っています。
私たちが店を広げた隣に、桃色ゲリラの皆さんが現れしばらく一緒に並びました。皆さんは、「おう、大丈夫」と思われる服装でしたが、寒さにも負けずに意思表示です。
良いですよね。思い思いの反戦意思表示は、個が活かされていると感じることができる。
心からエールを送ります・・頑張ろうね。
野外音楽堂の中は、傘でいっぱいでした。
思い思いの趣向をこらし参加する人、主催者が用意したプラカードを持つ人、そんな中でレインボーのぴーす旗は、彩りを放ち雨にも負けずに平和をアピールし続けました。
とっても嬉しい光景に出会いました。それは、解散地点近くにさしかかった時、先にデモを終え沿道で後から続くデモ参加者に片手に百合などの花束を持ち手を振っている少女がいました。西口にも立ったことがあるその少女は、とても明るくなって、自分の場所を見つけたのでしょうね。胸を張り、活き活きしていました。若い人たちが真剣に自分と向き合い、生活の場を広げていくこと、そしてたくさんの人との関わりで学んでいくことの大切さを知ってほしいと私は、願いながら彼女に手を振りました。
彼女の輝いた顔は、きっとご両親や周りの人たちをも変えていける力になるように私にはそう思えました。
デモが終わり私たちは、着ているものが、濡れていて寒いので東京駅近くで温かいスープを一杯飲んで新宿へ向かいました。
ああ、3分遅れ!でも大丈夫です。地下広場には、Yさんそして今日は、朝日新聞に記事が載った時に、参加したいと思われた小倉から来られたご婦人が立っておられました。念願かなってとても嬉しそうでした。
この広場で体験し感じとったものが、これからの彼女の生活に活かされると良いなぁーと願いながらお話をしました。
デモの後もみんな西口へ30人の参加でした。いつもヘルメットで意思表示だった男性は、今日はお友達も一緒に手作りの旗を持って立たれていました。
最後になりましたが、今日も私は「立川テント村」へのカンパ箱を持ち歩きました。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=110
日比谷公園でもバッジや旗を売りながらテント村の起訴された3人の方へのカンパをお願いしました。
バッジのおつりなど入れていただいたり、西口でもカンパ箱に目を止められた方に説明すると頑張ってと言われてカンパをしていただきました。
合計13580円になりました。明日、22日に4回目の振り込みをします。皆さんの温かい気持ちと一緒にお送りします。
振り込み料は、いつもジローのお小遣いで払います。これからもそうしたいと思います。(おおきせいこ)
★カンパ箱が雨で濡れて壊れてしまいました。新しいのを拵えました。
皆さん、温かい思いと一緒に起訴された3人の皆さんにカンパをお願いします。
私は3月20日、怒りを胸にレインボーのピース旗を持ってデモに行きます!
さぁ、あなたの3月20日、平和へ繋がる行動へ参加しませんか。
レインボーのピース旗は、北海道から九州まで全国各地ではためきます。
札幌、(千歳)、旭川、秋田、能代、盛岡、久慈、仙台、郡山、つくば、伊勢崎、
さいたま、川越、入間、市川、東京23区、小平、三鷹、武蔵野、八王子、小金井、
羽村、立川、横浜、藤沢、茅ヶ崎、中郡二宮、相模原、岡谷とその周辺、上田、
高岡、金沢、福井、小浜、高山、沼津、岡崎、名古屋、知多、津、大津、京都、
大阪、高槻、吹田、守口、柏原、神戸、川西、芦屋、奈良、広島、高松、高知、
福岡、長崎or佐世保、熊本、鹿児島、串木野などたくさんの皆さん掲げる美しい旗は、
私たちの願いと共に心を繋ぎはためきます。
さぁ、セクトとか組織などに縛られず、個が豊かに叫びましょう。
反戦・平和の気持ちを一つにして叫びましょう。お互いの行動に心からエールを送り合い、
平和へ続く道を歩みはじめましょう。
集まりやデモに参加されるのは、初めてという方は、レインボーの旗の元にいらしてください。
一緒に歩きましょう。
東京では、芝公園そして日比谷公園での集会・会場で私たち意思表示をしている皆さんで
レインボーのピース旗を旗竿も用意して販売いたします。
一緒に、持ちましょう、雲さんの平和の文字が入ったきれいな旗を掲げましょう。
立川テント村へのカンパ箱、もちろん持って行きます。
私はデモの後は、新宿西口へ行きます。
元山手教会の平山牧師が天国へ旅立たれました。
私は、むかしベトナム戦争反対の集会などで山手教会へ何度も伺いました。
いつもそこには、平山先生のお姿がありました。
一人そしてひとり、反戦運動を支えていた人たちが亡くなられ寂しいと同時に
私たちがその出会いでつちかったものを活かしていかなければいけないのではないでしょうか。
いま、それが問われている時のように私には感じられます。
後悔の無い生き方をしたいと強く願っています。
全ての幼子の未来の為に、私たちが残せるものは、何だろうと真剣にかんがえましょう。(おおきせいこ)