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投稿者 : seiko 投稿日時: 2004-01-29 20:42:58 (2437 ヒット)
「振り返らずにきた戦後」 大木晴子
1月29日朝日新聞朝刊に第30回大佛次郎賞・大佛次郎論壇賞を受けられた小熊英二さんと山本義隆さんのスピーチが掲載されていました。
小熊さんは、「<民主>と<愛国>」という966ページもある本を書かれ今回の受賞でした。
「振り返らずにきた戦後」と題したそのスピーチには、こう書かれていました。
★☆
私が書いた本がなぜ評価されたか考えると、思った以上に戦後というものが忘れられていたのだと思います。集合的記憶は20年か30年しかもたないのではないでしょうか。
今の大学1、2年生は84,85年生まれ、経済大国の日本を知りません。現在の社会やマスメディア、論壇を担う世代が40,50代に移り変ってきたのなら、彼らには70年代以降しかリアルなものに映っていないのではないかと思います。
敗戦直後、丸山真男や鶴見俊輔が必死になって考えたのは、日露戦争のときどうだったかということでした。当時の日露戦争は、現在から高度成長を振り返ったくらいの時期でした。しかし私たちは戦後を振り返らずに空白にしてきました。
私は、歴史上の声の力で評価を得たと思います。ありがたいと同時に、もう少し頑張らねば、そして力の及ばないところではみなさまに力をお借りしたいと思っています。
☆ ★
「<民主>と<愛国>」ついては、ベ平連サイトで吉川勇一さんが書かれています。
http://www.jca.ax.apc.org/beheiren/saikin46Oguma.htm
★ ☆★☆
予備校講師をされている山本義隆さんは「磁力と重力の発見」で受賞。
「今回の受賞が、私と同様にアカデミズムの外で勉強している方々にとって、なにがしかの励ましになれば、と願って賞をお受けすることにしました。」と書かれている言葉に昔、集会で山本義隆さんの言葉を声をお聞きしたことがある私は、その変らぬ生き方の姿勢に胸が熱くなりました。(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2004-01-26 23:53:21 (2566 ヒット)
「親子」  大木晴子
今朝の新聞に大きく報道された「中3長男を3ヶ月虐待」の記事を読み「なんと言うことが起きるの」とつぶやき、柴犬ジローを抱いてみました。
ジローの体重は、22キロ。報道によればこの中学3年生は、体重が24キロしかなかったと書かれています。その痛々しさを思わずにはいられませんでした。

私は、1月25日の日比谷公園で行われた集会で素敵な親子に出会いました。
通路になっている階段に立っているとむかし、朝日新聞に連載された「赤ちゃんが来た」のリクくんを掲げて元気な女性がこれまた元気な中学生を引き連れて・・・。

「啓さん」と声をかけると「連れてきたわよ!息子とその友達」と漫画家の石坂啓さんは爽やかな笑顔で息子さんを紹介してくださいました。
息子さんのお話は、機会あるごとに伺っていましたが、会うのは初めて思っていた通りの男の子でした。私に息子がいたら啓さんのように一緒に成長していける親子になりたいなぁーと思いました。

それから少しホットしました。この社会状況の中、親子で考え行動するその姿に接し、心強く思いました。
子育て中のお父さん、お母さん頑張ってください。
声を上げてください。あなたの大切なお子さんの為に!

デモに出発前、入り口近くでまた素敵な親子に出会いました。
写真を撮らせていただきました。
一緒に頑張りましょうね。(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2004-01-25 23:45:57 (2873 ヒット)


これが現実!皆さん、表現の自由がアブナイ!!  大木晴子
1月24日(土曜日)「今日と来週の土曜で地下広場での意思表示が一年」自分と向き合った時間。私自身この一年、反戦意思表示をすることで「強くなれた」と思い、そのことがとても嬉しいと素直に思っています。
さぁ、今日は昼間から忙しいのです。渋谷にある宮下公園からサウンドデモがあり、参加します。
プラカードは、意見広告4色のパネル張、少し身体はキツイのですがそんなこと言っている時ではないのでここは、根性です。
公園入り口に着くとそこはもう機動隊の世界。駅に近い入り口は狭い階段を上がります。そこには、大きな身体の機動隊員が4名、階段を上がろうとすると身体がぶつかります。
これでは公園に子供も遊びに来れない。私が通ろうとすると「デモに出ますか」と質問してきました。「大きなお世話です」
こう言う質問は訓練をされているのでしょうね。それは、デモの途中で右側にいた9機の隊員の方にその事を質問してみました。すると、その隊員は、指を口に当てて「しー」と。もっと、平和に繋がる訓練をしてください。

機動隊の人たちもわかるでしょう。写真のように大らかな市民が参加しているデモですよ。学校もお休みの土曜日の午後、街にはたくさんの子どもたちがいました。
その子たちに、この風景はどのように記憶されていくのでしょうか。
隊長さん、考えたことありますか。あなたにも、子供やもしかしたらお孫さんだっているでしょう。自分の身になって、物事を考え行動をしてください。
どう見たって、おかしい。私たち参加者市民は、100名弱。

機動隊はどう見たってその数倍はいました。普通の制服で十分な警備なのに防護服を着込み、ジュラルミンの盾を持ち、私にも渋谷駅近くの交差点で何もしないのに盾でぶつかって来た隊員がいました。
私の知っているベトナム戦争の頃の警備の皆さんには、まだ心を感じました。しかし、今のこの現実は、酷すぎます。
こんな事がありました。
このデモでは、一度入ると出られません。
歩道にぎっしりいる機動隊員が出させないのです。
このデモに途中から参加するのには勇気がいります。
機動隊員が入れないように「意地悪」な態度をとります。
チラシも配れません。中から沿道の人に受け取ってもらうことは困難です。
そんな中、私は可愛い中学生ぐらいの少女が私たちの行動に興味を持って見ているのに気がつきました。
直ぐにポケットから私のホームページ「明日も晴れー大木晴子のページ」アドレスとタイトル文字を印刷したミニチラシを出して大きな声で「私のホームページを見て」と渡そうとしました。
彼女も受け取る態度をとっているのに、機動隊は邪魔をします。
そんなやり取りを暫く続けなければなりませんでした。
私も少女も諦めなかったし、そんな事には負けなかった。次の交差点で人のいっぱいいる所でやっと渡すことができました。
「可愛いお嬢さん、頑張ったね。とっても嬉しかった」今度、また何処かで会えると良いですね。あなた達の未来の為に一緒に頑張りましょう。
このサウンドデモの参加者の1割は、なんと新宿西口地下広場で意思表示をしている皆さんでした。だんだんと息苦しくなる社会の中で大らかに表現の自由を!心根の優しさが滲み出る生き方にお互いがホット出来る皆さんです。
デモ終了後は、温かいコーヒーやココアで身体を温めて新宿へ向かいました。

さぁ、6時です。地下広場は、一人一人、また一人と皆さんの言葉が増えていきます。今日は23名の参加でした。初めての人が3名もフォトアルバムに掲載しました。
平和の白いリボンのAさんは、自分で拵えた横断幕を広げて意思表示です。
このAさんは毎週、月曜日JR水道橋東口で白い平和のリボンを配っています。
前にお会いした時に、いつも一人で頑張っていると聞いていたので1月17日のデモの写真に行動予定を入れてフォトアルバムに掲載しました。次の週にAさんから人数が増えて5名で出来ましたと嬉しいメイルが届きました。
イベントカレンダーに土曜日と同じく載っています。お近くを通られる時は声をかけ合えると良いですよね。
私の柱からは、見えない所にオートバイに乗る時に使うヘルメットに
WAR IS OVER IF YOU WANT IT
戦争は終わった(もし君がそう思うなら)
と黒いヘルに金文字で力強く書かれた文字にその方の思いを感じました。
ホームページを見て参加と伺い嬉しいです。
今日は、あっと言う間に終わった感じ、この後は、来週の打ち合わせでした。
皆さん、都合をつけていらして下さいね。前向きな爽やかな集まりになると
思います。一人ひとりが輝いて準備しています。
http://www.seiko-jiro.net/modules/news/article.php?storyid=69
遅い帰宅になりました。それから美しい星空を見ながらジローと散歩。
家の用が済んでパソコンにむかいました。先ずは、写真から掲載し、時計を見るともう朝になっていました。あっ、眠い。
今日は、パレード!「殺すな」バッジも付けて欲しい!チラシも配らなければ
と言うわけで、ニュースは遅れますとメッセージを載せて2時間半ジローの寝息を聞きながら熟睡。
「天気で良かったね」と言いながらジローの散歩を終えて、日比谷公園へ向かいました。千代田線に乗り換え霞が関へ向かう地下鉄の中は、何とデモ、いえパレード参加者が私を入れて1車両に6名もいました。もしかして今日は凄いかもと思い野外音楽堂に向かいました。久々に会場がいっぱいになりました。
ヤスミンさんのカヌーンの演奏が心に響きました。31日も演奏をしていただきます。今日のこの集会には、意見広告を見て参加した人も初めての人もたくさんいました。どうか今度はここで繋がった思いを大切にこれからの歩みを続けていきましょう。一人一人が神経を研ぎ澄まして想像力を持ち、自分にできる事を考え行動に移していきましょう。きっと、前にも後ろにも横にも仲間がいる。同じ思いの人がいる。声をかけ合いましょう。みんな今の社会の中で不安を抱き何かしなければと思っています。さぁ、一緒に歩きましょう。
「殺すな」バッジは、今日は50個付けていただきました。
先週から九州、広島そして今日は、吹田へ合計市民の意見30の会・東京から100個をお送りしました。
私のホームページからも注文が続いています。手元のバッジの数が少なくなってきました。バッジの大きさは(5センチ5ミリ)です。
いま、こんな時代だからこそ付けていただきたいバッジです。帽子にカバンにコートにぜひ付けてください。(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2004-01-23 00:01:15 (1955 ヒット)
5000人の人と繋がって!!  大木晴子
「明日も晴れー大木晴子のページ」を訪ねて下さった方が、昨夜のデーターで5000人(57日間で)を超えました。1969年、あの新宿西口地下広場に集まった人たちと同じぐらいの皆さんと繋がりが持てている事を考えるとなんだか不思議でそしてまた背筋が伸びる思いの緊張感を感じています。
この繋がりを大切に書き続けます。お気に入りに入れてください!訪ねてくださいね!(おおきせいこ)
*******************
皆さん!参加してください。私は「殺すな」バッジを販売します。
みんなで付けましょう。
★「1・23シンポジウム」
『さてどうやって イラク派兵と憲法改悪を止められるか』
1月23日(金)18:30会場・19:00開会
文京区民センター3階A会議室(文京区本郷4?15?14)
地下鉄丸ノ内線・後楽園から徒歩3分
都営三田線・春日駅から徒歩0分(A2出口直上)
パネリスト・ダグラス・ラミスさん(政治学者)・天野恵一さん(戦争協力を拒否し、有事立法に反対する全国FAX通信)・吉川勇一さん(市民の意見30の会・東京)
*******************
元気なデモに参加しませんか!
歩道で温かい眼差しだけでも良いですよ!
予定が無かったら渋谷!!夕方は、新宿!!
心根の優しい若者たちのメッセージ、お届けします。
★■派 兵 反 対■
2004年1月24日(土)
渋谷宮下公園(渋谷駅東口徒歩5分)
14:30集合(15:00出発)
DJ:.....various.......
Block Koizumi not the Streets!
宮下公園→青山通り→表参道→ファイアー通り→公園通り→明治通り→宮下公園
待ち伏せ・横入り・追いぬき・割りこみ・歩道デモ 益々歓迎+堂々合法!!
どこから入ってもどこから出ていっても自由!
これ、路上の大原則、法律以前の当然の権利、歩行者の勝手、通行の自由!
“一度入ったらもう出られないゾ、一度出たらもう入れないゾ”なーんて大ウソ。
そんなこと言うケーサツを見たらドロボーと思え、自由と権利の公然窃盗罪。
ドント・トラスト・ポリス・オン・ザ・ストリート・パーティ!
今年もやっぱり、いうこときくよなやつらじゃないぞ
(コースは予定。雨天中止です。詳しくは下記のアドレスで)
more info http://asc.shacknet.nu/
戦争(=攻撃)の理由もぜーんぶウソだったし、戦争(=攻撃)の開始も終結もやっぱりウソ。で、こんどは「非戦闘地域」「人道支援」「国益」「日米同盟と国際社会」ときたか。
そんなこんなで今年もデモはやめられない。
さらに、求む、路上解放!????まずはデモやらせろ!! 公安条例は撤廃しろ!
(しかし警察はせめて現行法くらい守れ、歩道に入るな、デモに入るな! 押すな!蹴るな! 突き飛ばすな! 写真撮るな! 武器は捨てろ!!! 来るな! 来るなら踊れ、とにかくデモのジャマはするなあああああ!)
*******************
「大木さんは、直ぐにデモ・デモと言うから嫌い!」と言われた事があります。
つい!言ってしまうのです。この日は、パレードです。
この日も「殺すな」バッジを持っています。声をかけてください。

WORLD PEACE NOW 1.25
もう戦争はいらない 私たちは自衛隊のイラク派兵中止を求めます
●日時 :1月25日(日)12:30?
●場所 :日比谷公園野外大音楽堂
●主催 :WORLD PEACE NOW
http://www.worldpeacenow.jp/

投稿者 : seiko 投稿日時: 2004-01-22 00:00:47 (3158 ヒット)


大内田圭弥監督に見つめられ!      大木晴子
私が大内田監督と最後に言葉を交わしたのは、2003年の秋。
監督がかけてくださった電話でした。
その時、私が新宿西口地下広場で反戦意思表示をしていることを「嬉しく思っています、頑張ってください」と言って頂きました。
「いま、身の周りのモノを整理しているのでいただいた本も皆さんに戻しています。それでお連れ合いの「ヨーロッパ汽車の旅」等と
手元にある「地下広場」のビデオ3本を送ります。」というお電話でした。
そしてこの時、私は監督に西口での行動が一年続いたら「地下広場」を見て話し合いが出来る集会を
「私が言い出しっぺになってやりたいと思っています」と伝えました。
監督は、「それは、良いですね」と・・・電話の向こうの優しい笑顔を感じながら監督のお声を聞いていました。

大内田圭弥監督は、2003年、12月22日、 天国へ旅立たれました。
昨年の暮れに1月31日の詳しいお知らせをしたいと監督にお電話をしました。
その時に奥さまから、監督が亡くなられたことをお聞きしました。
監督の強いご意思とご家族のお考えで一ヶ月ぐらいは、静かに誰にも知らせずにいたいと伺い、私は、祥月命日にあたる今日、22日に
「明日も晴れニュース」で書かせていただくことを奥さまにお許しをいただきました。
奥さまに、監督のお歳や経歴などをおたずねしましたが、「大内田は、あまり自分の事を語らない人でしたから、
大木さんが感じた大内田のことを書いてくださればそれが一番良いとおもいます。
大内田は歳のわりには、若く見られるようで本人もそのことは、嬉しかったようです。」と言われました。

監督に初めてお会いしたのは、1969年から25年が経った1994年でした。
「地下広場」の上映会を企画し、フイルムをお借りするため新宿の喫茶店でお話をしました。
監督は、最初にこう言われました。
「大木さん、映画の中には大木さんの歌声はたくさん聞けるけど、映像が少ないでしょう。
それは、あなたが若い娘さんでこれからお嫁に行く娘さんだったのでたくさん入れなかったのです。
フイルムにはいっぱい写っていたんだけどね」と素敵な笑顔で言われました。
私は、その時なんて心根の優しい方と思いました。
映画を見て感じる、映像を撮る側の位置、監督が大切に思って撮られた心の原点をこの時に感じることが出来ました。
何時も大衆側でカメラをまわし、地下広場の人々の生き生きとした表情を描き出しているこの記録映画は、現在の社会に投げかけるものは大きいと思います。
2004年1月31日で一年をむかえる反戦意思表示。私は「地下広場」の上映会とティーチインそして6時からの意思表示をしたいと思います。
大内田監督そして「地下広場」の記録映画に出会えたことを心から感謝し、
これからも、監督に見つめられ反戦・平和への道を歩み続けます。
(おおきせいこ)

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