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投稿者 : seiko 投稿日時: 2003-10-12 00:46:51 (1853 ヒット)

新宿西口地下広場通信03-10-11     大木晴子
吃驚する事が広場におきました。(フォトアルバムを見てください)
私たちが背にして立っている柱が明かるい電気で照らされた広告塔になってしまいました。
丸いタイルと大きな太い柱が織りなす広場の素敵なリズムは、消え去りました。
今日参加された皆さんは、品の無い、節操のないこの状況にただただ呆れるばかりでした。
私は、今の日本そのものだなぁーと思いました。そして、意思表示する者へ
たたきつけられたこの「明るい広告塔」を反対に生かして何が出来るかずっと
考えていました。
昔、教会幼稚園に勤務していた時に、よく作ったステンドグラスを思いつきました。
ステンドグラスといってもセロハンで作る簡単なものです。
光を利用して楽しい意思表示をしましょう。皆さんチャレンジしてみませんか。
私は、殺すなマークの文字を切り抜き、セロハンをはって一つ作ってみます。
何かヒントが浮かんだら知らせてください。
今日は、会議に行く前に少し参加しますと言われてWORLD PEACE NOWのメンバーの方四名。渋谷のデモ終了後に駆けつけて下さった二名の方。
遠い福島から東京21区(立川市・日野市・昭島市)から衆議院議員(無党派)で立候補される川田えつこさんの応援に来られた青木さんも「米占領軍に出さないで1兆円の私たちの税金」と書かれたプラカードで立たれまた。
総勢二十八名・・・一番多い人数になりました。
私は、先週花束を持って参加した十七歳の娘さんと並んで話をしながら立っていました。彼女に「あなたの心を傷つけた警備員さんに抗議したからね」と話すととても嬉しそうな顔になりました。
彼女は、百合の花を、私は黄色いバラを持ちました。
今日もまた警備員の方に「これは、なんですか」と聞かれました。私は、「意思表示の一つですし、先週の「花束は持たないでください」と言われた事への抗議も込めています」と言うと「そう、報告書に書いておきます」と言われました
帰り際に、改札を通り広場の方を振り向くとそこには、
「自分だけが!自分だけが!」と
目立てば良いと考える広告が広場を埋めていました。
寂しです。一人電車に乗り込むと胸が痛くなるほど心の中で泣きました。
私は、負けない!大らかに優しく立ち続けます。
さぁー、あなたも・・・。
(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2003-10-11 14:39:58 (1633 ヒット)
今日も昼前から駒沢公園にジローとプラカードを持って意思表示してきました。
夕方からは、新宿西口に出かけます。
今日は、先週の出来事がありましたので表現の自由を強く意識して「花束」を
プラカードと一緒に持って立ってきます。今夜の報告は、明日の朝にはお伝えしたいと思います。明日も訪ねてください。

今日、KY生さんからの5日渋谷で行われた集会デモのメッセージが送られてきました。皆さんに是非、読んでいただきたいので許可を得て掲載いたします。

**路上解放、デモも街頭反戦意思表示も、みんな表現の自由**
KY生@ アウトドアエクササイズ派 です。
10/5 サウンドデモのシンポジウムの時に、レイブ、路上解放の意味というのをしっかり教えてもらった (摂津さん、真ん中に陣取っておられましたね)
乱暴に言ってしまえば 「街路を、広場を、 民衆の手に取り戻せ」ということ、路上を解放して皆で踊りまくるというのは、その権利の一つの表現で、とりもどす闘いなんだということだ。
 今の、道路というのは、グローバルな大企業が使いやすいように設計され、大企業の一方的なメッセージが広告と言う名のもとに氾濫している。それを誰も拒否できないし、懐疑をさしはさむような市民の声を出すところも無い。
道路、広場は一方的に略奪されている状況である。 
グローバル化の名のもとに、大企業が金にあかせて使い放題という構図でる。
商売のためのチラシ配り、ティッシュくばり、サンドイッチマン、物売りは黙認するのに、署名行動、政治的メッセージを有するビラくばりや行動などは,厳しくチェックされる。 
本来、憲法の柱である基本的人権のひとつの「表現の自由」そのものが、公安条例や道交法で制限されている。 
 それのアンチテーゼとして、ストリートパーティー、レイヴデモが試みられてきていると言っていい。
 路上を民衆の手に取り戻すという行為はみんなの共感を呼ぶ。だから人がどんどん増える。お祭りや一般参加の阿波踊りと一緒。
それで機動隊でも登場させないと、皆のエネルギーは止められないというわけだ。
デモ行進も本来、民衆が「表現の自由」として、「(政治的主張を)街路の真中で表出する」ものであり、第一級の基本的人権として、「片側一車線」とか、「はやく歩け」というような制限が加えられるべきものではないのだ。
道路は車のためのものではないし、車はとめても良い。道路は交通止めにしても良い。
それぐらい基本的人権は大事なのだ。 
だから欧米では、日本のようなデモ行進規制はしない。
10.5のサウンドデモをプラカード、政治的メッセージが少ないということをもってネガティブに捉えることは間違っているとおもう。
実態は、憲法の基本的人権のところで激しく権力、国家とせめぎあっているのだ街頭反戦意思表示も真髄は一緒だ。
政治的主張を個人が自由に意思表示する。
それを路上でも、広場でもやる。
 テッシュ配りに、キャッチセールスに占拠されている空間を「静かに物を考える空間」として市民の側に取り戻すこと。
それなのだと思う。 
 「個人の表現の自由を我々の手にとりもどすこと。そしてそれを実際に行使して見せること」が問われているだと思う。
 意識はしないものの、憲法を実践する行為になっている。
http://list.room.ne.jp/~lawtext/1946C.html
から
第九十七条【基本的人権の本質】
 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第十一条【基本的人権の享有と性質】
 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十九条【思想及び良心の自由】
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十一条【集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密】
1  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第九十九条【憲法尊重擁護の義務】
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
デモについてもう少し、
http://www.shonan-inet.or.jp/~kuri/
「栗原幸夫」氏のホームページ にある
http://www.shonan-inet.or.jp/~kuri/hyouron_4/hansen.html
「反戦運動は今も昔もデモから始まる」 より 「うんうん」と思える部分をすこし
引用しておく。
====
前略
表現の自由というのは絶対的なことなんですよ。
だけど、「非暴力のデモ」ということが、ともすると反戦の
表現の自由よりも「逮捕されるようなことはしちゃいけな
い」ということになりかね覆い錣韻諭
もちろん逮捕には断固として反対ですが、実際は積極的に
捕まることも前提とする行動はあるわけ。
非暴力直接行動というのはそうですから。

 六〇年代のベトナム反戦闘争のなかで「非暴力直接行動」
という考え方が出てきたわけね。
つまりぼくたちはぼくたちの反戦の要求をだれかに委任して
実現しようとするのではなく、直接それを表現し、直接その実現を
行動によってたたかうという考えです。

ぼくたちは「非暴力直接行動委員会」というのをつくったんですけど、
たとえばみんなでアメ大の門の前に行って、パッと座っちゃうとかね。
そうすると、すぐに警察が飛んできてごぼう抜きでやられちゃうけど。
とにかく直接身体で表現しましょうということなんです。
そういう意味ではデモも本質的には直接行動なんですよ。
だけどね、そういうのはイヤだという人もいるわけ。
絶対に捕まらない行動で、警察が「ここはいけない」と言ったら向こうの
言うとおりに従う。
そういう人もいるわけだよ。

だけども、そういう人たちを批判しないわけ。
そのように言う人にはそういうデモをやってください、だけどその次の隊列は、
座り込みとかフランスデモをやりますよ。
それをやりたい人は次の隊列に入ってください、と言ってやる。(笑)

 ベ平連の中期以降、学生はヘルメットをかぶって入ってきた。
デモといえばジグザクデモしかやらないというんだね。
それは、そういう時代なのね、学生の表現としては。それに対しても
「結構です、やってください」となる。
 その場合、静かなデモをやりたいグループがあれば、それはそれで
ひとつの隊列をつくる。
そのあとにもっとはげしい行動をする隊列をつくる。
しかしけっして前の隊列を巻きこまない。
前の隊列も後の隊列が警官に弾圧されるのを見捨てて先に行ってしまう
ようなことはしない。
立ち止まって目撃する証言者になる。
そういうふうに、同じベ平連のデモなのだけど、その中でいろいろな形態のデモが
あった。
ぼくはそれはとてもよかったと思う。
お互いに非難しないんですよ。
そして、やりたいこ箸鬚笋襦

以後 略
=====

投稿者 : seiko 投稿日時: 2003-10-08 15:03:00 (2574 ヒット)
 
(1975年の母です。)
     
 人とのつき合い方    大木晴子
 人は死をむかえた時、その人がどんな人とのつき合い方をして生きてきたがわかるような気が私にはする。
そう思う一人に私の母がいる。
 母は、明治三十九年の生まれ、私が生まれたのは、母が四十二歳の時だった。年の離れた兄達の、
大学のサークル仲間が我家によく集まっていたのは、私が小学校に上がった頃だった。
その数は、二十数人になることもしばしばだつた。
そんな時決まって母は、豚汁やおにぎりを作り、もてなしていた。
母がにぎる三角のおにぎりは、五十個も六十個もあるのに、大きさも高さも同じだった。
それが幼い私にはとても不思議で母の手は、魔法の手に見えた。
私が、そのおにぎりに秘められた、母の平等な精神や真心を知るのは、
ずっと後になってからだった。
 我家の夕食は、家族以外の人が一緒に食べている事が多かった。
近所の人だったり、兄の友人だったり、それはにぎやかで母は、
一度もいやな顔をしたりすることがなかった。
我が子と同じように自然なもてなしをしていた。
 私自身が家庭をもち、人をもてなすようになって、時には苦痛をおぼえる。
そんな時、いつも変わらない母は、なんだったのだろうと思う。
 母は、私が四歳の誕生日に黒いビロードのコートをおくってくれた。
そのときの母の言葉は、今でもはっきり、わらべ歌のように私の心に刻まれている。
「晴子ちゃん、お誕生日はありがとうする日よ、あなたが今日までみんなに守られ
大きくなったことをありがとうする日が誕生日なのよ」と私の目をみて、
やさしく笑みながら、可愛いコートを着せてくれた。
 この時、私は人に出会い、そうして学んでいくのだと幼心に感じ取ったように思う。
 母の葬儀の日、私は今までに会ったこともない大勢の方から
母の生きてきた証を聞き胸が熱くなる思いだった。
母が亡くなって、二十年。ちかごろ、私の生き方の中に母の姿を見ることがある。
とりわけ、人とのつき合い方の中に。それだけにまた、母の大きさを感じている。(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2003-10-05 00:36:21 (1769 ヒット)
「今日は、朝から反戦意思表示!」03-10-04   大木晴子
 十月最初の土曜日、今日から始めました。一人と一匹の反戦意思表示。
何時もと違うジローとの散歩です。それは、大きなプラカードを抱えてお散歩用の手提げには、殺すなバッジ、意見広告のお誘いのチラシなどを入れて出かけました。
 家から十五分ぐらいの所にあるK公園に十時に着くともうかなりの人がジョギングやサイクリングロードを走り、野球場からは子どもたちの歓声が聞こえてきました。
 私たちは、花壇の周りにある大きな丸いベンチに「殺すなの説明が入ったプラカード」と「派遣命令なら帰っておいで」のプラカードを置きました。
直ぐに、隣に座っていた若いカップルが興味を持ったようで読んでもらいました。でも、ここも西口で始めた頃とかわらない無関心な人、人、人です。
最初だから!焦らずに、のんびり人間ウオッチング。
きっと、時間をかけて訴え続ければ何かが変わる。そう信じて大らかな歩みを始める事にしました。心と心が鏡のように写しあえるように、体調のいい日、晴天の日、ゲリラ的に「晴子とジローの反戦意思表示」頑張ります。
 今日は、立ち止まって、ゆっくり読んでくださった方が四人、「殺すな」を見つめていく人も何人かいました。意見広告のチラシは二枚でした。

夕方の新宿西口地下広場の反戦意思表示は、参加者十八名でした。
回を重ねる事に、優しさが増し心地の良い風を広場で感じることができます。
皆さんも一度、感じてみませんか。
今日は、「インターネットで知りました」と十代の娘さんが花束を持って参加しました。彼女が私のオリジナルの「殺すな」説明入りプラカードと花束を持って立つと警備の方から「大木さん、花束はやめてくださいね。」と言って来ました。「えぇ、何故花を持って立ってはいけないのですか。」すると「花は仏壇に飾ってくださいよ」と返事。何時も親切に気を使って下さる警備員さんですがこれは、私は譲れません。
来週は、皆でプラカードと一緒に花を持つことにします。

広場は、立ち止まり、プラカードをよく見て読んでいく方多くなりました。
今日は、パキスタンの方が「良いことをしています」と言って下さいました。
そして、「身体の一部を痛めた時に痛いと感じるように世界の中で痛みを感じる国があれば、私たちは、その痛みを感じとらなければいけない。」とそれがイスラムの教えですと話されました。
ほんとうにそうです。私も痛みを感じあえる人の一人でいたいです。
(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2003-10-04 14:17:53 (1804 ヒット)
 10月3日は、市民の意見30の会・東京のニュース発送日でした。ニュースに掲載されている西口通信です。今日の地下広場の様子や今朝から始めたK公園での反戦意思表示は、次のメッセージでお伝えいたします。

    「新宿西口地下広場」が新聞記事に載って! 大木晴子
 9月15日、地下広場でいつも持っている「殺すな」のプラカードを掲げイスラエル大使館へ「パレスチナ人を殺すな」と30人の仲間と声を上げてきました。
この抗議行動の知らせをもらった時に、直ぐ思いました。
 今年の春、社会の目がイラクに向いている時に、イスラエル政府はパレスチナ西岸地区を囲い込む壁をつくってしまいました。その為に、遠回りをして病院にいかねばならくて、何人もの子どもたちが亡くなった話を・・・・。
 いま、あっちを向いても「殺すな」、こっちを向いても「殺すな』と叫ばなければならない世の中に心が痛みます。
 新宿西口地下広場の様子が8月18日の朝日新聞に掲載され、いろいろな反応が出てきました。記事が出た夜に、携帯にメイルが入りました。短い文章の中に思いがいっぱい詰まったその言葉は、「大木さんがしてくださっている行為に感謝しています、ありがとう。」でした。
二人の男の子を育てている彼女は、今まで反戦運動など無縁の人。でも、今の社会情勢の中で不安でたまらないのではないでしょうか。
戦争がいつ起こってもおかしくないような歩みをはじめてしまった日本に不安を感じ始めたのだと思います。
私はこのメイルを読んだ時、地下広場に立った事「良かった」と思いました。
柴犬ジローと街を歩くと、いろいろな方と以前に増してお話しをする機会に恵まれています。「オレ、学生運動してたんだ。」と輝いた顔で話す花屋さん。
何時も仲良くしている近所の仲間は「同じ気持ち持っているのよ。
戦争反対だしでも何をしていいかわからないまま来ちゃって」と語り始めました。
  私は嬉しい。「無理をしなくてもいい。今の自分に出来る事をしてね。優しい眼差しで頑張っている人を見ていてくれるだけでもいいのよ」と心の中で思いました。
 1969年、新宿西口地下広場が終わった後、私は教育の場に立ちたいと考えて保育学校へ。学業を終え幼稚園に就職が決まると十五歳違いの一番上の兄からお金では買う事の出来ない素敵なプレゼントをもらいました。
「晴子 驕るなよ。教え育むという事は、親指と人さし指をピッタリあわせた時に出来るほんのわずかなすき間ぐらいなものだ。現象面だけでやったつもりになるなよ。結果は、十年、十五年先に見えるものだ。謙虚な気持ちを持って頑張れ」と。
その兄が記事を見て便りをくれました。
「不景気が続くとだれもがいらいらし、それに便乗して妄動する人が出てきます。何時の時代でも同じです。そのような中で良心の灯をともし続ける人たちがいることを嬉しく思い、その内の一人が晴子であればなおさらです」と。
みんな、みんな思っている。戦争はイヤ! いまの日本は、どうなってるの!
さあ、自分に出来ることさがしましょう。歩みを止めないで。同じ思いを持っている人がきっと側にいる。一緒に声をあげましょう。
(おおき・せいこ、市民の意見30の会・東京事務局)

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