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投稿者 : seiko 投稿日時: 2012-09-13 17:05:17 (1850 ヒット)


2012年9月8日の土曜日!・・・9日へ向けて頑張った日!靖国にも行った! 大木晴子















12-09-13(おおき せいこ)
「9月9日「国会包囲」って、どんな感じかなぁ〜。こんな感じ!写真掲載!」
http://seiko-jiro.net/modules/newbb/viewtopic.php?viewmode=thread&topic_id=1894&forum=1

投稿者 : seiko 投稿日時: 2012-09-13 00:38:49 (2580 ヒット)


連載エッセイ・第15回

鏡餅完売

 新宿のヨドバシカメラによく行く。この店のファンだと言ってもよいだろう。同じような人は写真家にも多く、彼らに言わせると、ヨドバシカメラには、ときおりどうしても必要となる品物をしっかりと置いてあるらしい。売れ筋ばかりを揃える他の量販店とは一線を画しているのだろう。
 ヨドバシカメラに通いだしたのはかなり古い。高校生だったか大学に入りたてのころか、一眼レフカメラを買いに行ったときからだから、四〇年ほど経つことになる。名前の通り、淀橋浄水場のすぐそばの、たしか木造かモルタルの二階屋だったか。商品が展示されているわけではなく、木製のカウンターがあるだけだった。希望の商品名を告げると、店員が背後の棚からカメラやレンズを取りだす方式だったと思う。商店というよりは、問屋の雰囲気だった。じっさい、小売店分の利益をカットして安く売っていたのだろう。値切るにしても、プロの一員になった気がして緊張した。背伸びして、知識を詰めこんで購買におもむいたものだ。カメラを一台買うのは、特別なイベントだった。
 以来、パトロールと称して、新宿に用事があるたびに、カメラ売場を中心に新製品のチェックにいそしんでいる。わたしの周りには、中古カメラ、古書、レコード、双六、切手など、自主的にそれらのパトロールを買って出る友人がなにかと多い。それはともかく、そうこうしているうちに、小さな店舗がここまで大きくなったというわけだ。
 最近では、売り場ではなく、修理コーナーによく行く。趣味というよりは、実用に迫られてだが、持ち運べる故障品をいそいそとヨドバシカメラに持っていく。修理コーナーで自分の順番を待ちながら、ほかの客が修繕に持ちこんでくる品物を眺めていると、じつにさまざまで見飽きない。壊れたパソコンのデータを何とかしてほしいと訴えるひと、そんなに古びたものをまだ直すのかと思ってしまうような、おそらくは生活に馴染みきったラジカセを取りだす人間もいる。炊飯器のばあい、なかにはまだ白飯が入っているのではないかと感じるくらい、生々しい。
 修理コーナーのすぐ横では、真新しい製品を売っているのだが、商品が買われ、一度でも使用されたとたん、その品物は、使用者に属した極めて〈ワタシ〉的な物体に変貌する気がする。使っている人間の気配が立ちこめるのだ。万人に向かって買われようとしている新品と、人格化した修理品とが、道を隔てて隣りあっている。
 年末のある日、百円ショップの前を歩いていて、店頭で奇妙な文字列に出会った。「鏡餅完売」。百円ショップと鏡餅の関係が、ちょっとシュールで、一瞬、意味がわからなかった。数秒後、理解する。そうか、いまは、百円ショップで鏡餅を買う時代なのだ。感慨は、単純ではない。供え物まで少しでも安く買おうとするひとびとへの感嘆と、百円ショップで買ってまで年越しの慣習を守ろうとする現象への驚きとを、同時に感じる。百円の鏡餅なら省略してもよい、とはならないのだ。
 〈ワタシ〉化された商品の集積が、そのままでは見えない〈ワタシ〉を、自分に対しても、また他者に対しても可視化させる。だが、百円ショップの鏡餅は、それが中国などの外国製であることをふくめて、一体化する世界経済の露頭でありつつ、日本人の心性にも触れており、頭での理解を超えた闇を感じさせる。それは、〈ワタシ〉のもつ深淵かもしれない。
グラフィックデザイナー・ 鈴木一誌(すずき ひとし)



『鈴木一誌・エッセイ』第十四回
『鈴木一誌・エッセイ』第十三回
『鈴木一誌・エッセイ』第十二回
『鈴木一誌・エッセイ』第十一回
『鈴木一誌・エッセイ』第十回
『鈴木一誌・エッセイ』第九回
『鈴木一誌・エッセイ』第八回
『鈴木一誌・エッセイ』第七回
『鈴木一誌・エッセイ』第六回
『鈴木一誌・エッセイ』第五回
『鈴木一誌・エッセイ』第四回
『鈴木一誌・エッセイ』第三回
『鈴木一誌・エッセイ』第二回
『鈴木一誌・エッセイ』第一回

「市民の意見30の会」 ニュース『市民の意見』118号(2010・02・01)に
掲載されたエッセイを筆者のご承諾をいただき再録させていただきました。
写真は、こちらで添付しました。これからも続けて掲載してまいります。
(写真は、2010/12/05「新宿ど真ん中デモ」で撮影:大木晴子)

12-09-13(おおき せいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2012-09-11 23:59:47 (1964 ヒット)
 

連載エッセイ・第14回

煮え切らないわたし

 写真が好きなのか、写真機が好きなのかは判然としないものの、さっぱり上達しないという事態にもめげず、旅行にはかならずカメラをもっていく。だが最近は、シャッターを押していても、落ち着かない。デザイナーという職業からも、デジタルに馴染んでおかなくてはと思い、新しいカメラを携行していくのだが、フィルムカメラの簡潔さを懐かしむ気持ちが吹っ切れない。デジタルカメラでは、なにより編集作業がやりづらい。選び、並べるためには、けっきょくはプリントアウトすることになる。フィルムカメラならば、ベタ焼き(コンタクトシート)やスライドで一目瞭然だった。この億劫さも、キーボードと同じで、いつかは慣れるのだろうか。言えるのは、フィルムカメラとデジタルカメラそれぞれの有用性を冷静に比較する風潮は、もはやないということだ。
 一時期、書店の一画を〈手書き本〉が占めていたことがあった。鉛筆で文字をなぞる「奥の細道」や「徒然草」などだ。日本国憲法を書かせる試みもあった。類書が類書を呼び、相当のボリュームで刊行されていたが、ふと気づくと、視界からいっせいに消えている。関係者によれば、「ある日、突然」売り上げが落ちたそうだ。大げさに言えば、ある日、沖縄から北海道にいたる全国の消費者が、手書き本を必要と思わななくなった、ということだろう。手で書くことには、老化防止など謳われていた効能があったとすれば、それらの機能が「ある日、突然」消滅したわけではない。
 デジタルな映像世界に戻れば、現在のユーザーは、フィルムであれデジタルであれ、デジタル処理された紙焼きを手渡されている。印刷物にしても、デジタルな工程を経ていないものは、もう存在しない。接触する映像がすべてデジタル工程の成果なのだから、ユーザーは、知らず知らずデジタル画像に親しんでいく。スーパーマーケットのチラシの、野菜のシャキシャキ感を強調するのは、デジタル処理の得意分野だ。ジューシーさ、まったり感なども、デジタルに表現される。
 シャープで色鮮やかなプリントが全国、全世界に行き渡り、デジタル画像への親和が浸透していく。なにが写っているかではなく、プリント(紙焼きあるいは印刷)された写真のトーン自体が、見る者の眼をデジタルに馴染ませていく。コンテンツの内容ばかりではなく、トーンもまたメッセージだとすれば、シャキシャキ感を強められた宣伝でないと購買意欲を誘われなくなっているのかもしれない。野菜らしさ、ステーキらしさ、ラーメンらしさが、電子的に反復される。視覚世界ばかりではない。
 これまでパソコンを使ってでしかできなかった画像処理が、新しいデジタルカメラでは、写真機本体でできる。メーカーによって、「デジタルフィルター」「アートフィルター」などと呼ばれたりする機能では、水彩画タッチ、ポップアート調や白昼夢ふうへと画像が変成される。「ラフモノクローム」なるメニューは、まるで写真家・森山大道的で、苦笑する。音もまた、すでにデジタルなトーンに満ちている。これから、五感のデジタル化が進むのだろう。
 [size=small]〈らしさ〉を共有する〈全国〉という名の巨大な一個の人間がつくられていく。さらに〈全国〉は、〈全世界〉という人間像へと変貌しようとする。では、野菜にシャキシャキ感を求めるのは、ユーザーの意思なのか、仕向けられたことなのか。受動と能動、両方向の運きが渦巻いている〈わたし〉とは、煮え切らない存在だ、そう自覚することからはじめるしかなさそうだ。

グラフィックデザイナー・ 鈴木一誌(すずき ひとし)



『鈴木一誌・エッセイ』第十三回
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『鈴木一誌・エッセイ』第三回
『鈴木一誌・エッセイ』第二回
『鈴木一誌・エッセイ』第一回

「市民の意見30の会」 ニュース『市民の意見』117号(2009・12・01)に
掲載されたエッセイを筆者のご承諾をいただき再録させていただきました。
写真は、こちらで添付しました。これからも続けて掲載してまいります。
(写真は、2012年8月ラオスで撮影:大木晴子)
12-09-12(おおき せいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2012-09-07 15:16:44 (1793 ヒット)


2012年9月1日の土曜日!黒猫ろくが4歳になった。 大木晴子



立ち寄ってくれたムキンポさんに撮って頂きました。



6時に地下広場へ移動します。



詳しくは、下記のサイトを見てね!
http://www.tanemakifan.net/














12-09-07(おおき せいこ)
★金曜日になっちゃった!
首相官邸「裏」に行かなくちゃ。
9日は・・・・「明日も晴れ」カレンダーを見て下さいね。

投稿者 : seiko 投稿日時: 2012-08-28 01:04:40 (2142 ヒット)


2012年8月25日の土曜日! また!警察官が・・・志村建世さんとA子さんの報告!



KY生さんのブログ「黙々と-part4」にも、この日の報告ページが掲載されています。
http://red.ap.teacup.com/kysei4/1109.html

写っていない方もあります!A子さんの報告だと地上は7名で立たれたそうです。
上記の写真は、A子さんの撮影です。

6時、地下広場へ。
ここからは、志村さんの撮影です。













私は、旅行中でお休みでした。
この日もまた、警察官が来たそうです。
kiss-meさんの報告がよくわかるので掲載します。

8/25は警察官から「お声掛け」がありました!

文脈は再現できませんが;
現れるなり「許可をとってますか?」「110番通報がきてる」、

「警察が仕事してないと思われてるみたいで困るから名前だけ教えてもらえませんか?」と屁理屈をこねるので、

先日、Aさんが弁護士さんに確認してくれたように答えてみました。
・許可はとっていないが10年も続けている行動である
・その間ずっと、この場所を管理している会社は黙認している状態
・通報者には直接私たちと話すように言ってほしい
・(私たちと管理会社)民間人どうしのことに警察が介入するのはおかしい
・それぞれ個人的に行動していて、代表者はいない
・名前を言わなければならない理由がわからない

すると「でも何かあったときに助けてあげるには名前がわからないと」だって。
おいおい。

私は騒動をおこすつもりはない(運動がまきおこればよいとは思うけど)ことと、
以前、デモ帰りの在特会らしきお兄ちゃんが絡んできたとき、警察官が
私たちから引き離して交番につれて行ったことも話してみました。
事なかれにあぐらをかいているのは警察のほうなんだから。

ほかの人にも話を聞いてよいのか問われたので、どうぞと言いました。
そしたら女性にばかり声をかけていきましたね。御しやすしと見たのか?

みんな、強いなぁ〜。
そうです。スタンディングは人に見てもらうのと同じように自分とも向き合うから、
本当に、個が強くなります。

12-08-28(おおき せいこ)

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