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投稿者 : seiko 投稿日時: 2003-11-19 20:26:10 (2016 ヒット)
11月24日(月曜日・休日)デモに行こう!  大木晴子
同じ思いを持たれましたら一緒に歩きましょう。
みんなで自分の出来る範囲で気持ちを意思表示することが大切です。
さぁー、一人でも、家族と一緒でも、仲間と仲良くでも、デモに参加しましょう。

●私たちは、イラク住民を殺し、自衛隊員をも殺す派兵の基本計画に反対します。
●わたしたちは自衛隊のイラク派兵とイラク占領のための戦費支出に反対します。
●私たちは自衛隊が出動する各地の抗議行動を結んで、平和憲法(九条)を崩壊させようという暴挙と闘います。
●私たちは沖縄・韓国・フィリピン・トルコ…など、日本内外のイラク派兵に反対する運動との連帯をめざして闘います。

自衛隊はイラクへ行くな!殺すな!殺されるな11.24行動!
日時:11月24日(月、休日)13時? 集会後デモ
場所:宮下公園(渋谷駅より徒歩5分)
主催:11.24行動実行委員会
連絡先:
○ 自衛隊の海外派兵と戦争協力に反対する実行委員会(新しい反安保実)
T03-5275-5989,F03-3234-4118
○市民の意見30の会・東京 03-3423-0185
○ATTAC Japan(首都圏事務所)T03-3813-6492、F03-5684-5870
○日韓民衆連帯全国ネットワーク 03-5684-0194

投稿者 : seiko 投稿日時: 2003-11-16 23:29:15 (2097 ヒット)
デモ!そして反戦意思表示!それから「殺すな」ライブ! 大木晴子
十五日は、盛りだくさんの一日が始まるので朝からたいへんだ!と思って前の日は早くにやすみたいと思ったのですが「あっ、プラカード拵えていなかった」と気がついたのが夜中の二時、でも気合いを入れ菜飯のおにぎりまで用意して少し睡眠。
ジローの一時間近い朝の散歩で元気をもらい、昼過ぎ恵比寿へ向かいました。
「来るな ラムズフェルド!・許すな イラク派兵!」百人弱の小さなデモでしたが、前回と同じく優しさが感じられる心地の良い集会でした。アピールは、それぞれ思いが伝わり、皆さん真剣に聞きお互いにエールを送り合っているのが良いですね。
主催者が準備した丁寧に拵えてあるプラカードとレインボーの旗そして太鼓や笛や西口でも頑張っているFさんがたたくフライパンの音が活気を生み出していました。
Fさんは、アメリカ大使館前でもたくさんたたいたのでしょう。
フライパンの真ん中の窪み具合でそれがよくわかりました。
少し日も差し恵比寿公園の木々が少し色づきはじめた素敵な場所からのデモ出発でしたが、公園を出ると直ぐに片側に見るからに機動隊、歩道はほとんど私服の皆さん、不思議ですよね、何故か私には、私服の皆さんに同じ気を感じてしまうのです。
デモに参加したいなぁーと考えている皆さん!公園の入り口を怖い顔をして機動隊がふさいでいても、怖く無いですよ。
私たちは、悪いことをしているのではないのですから、どうどうと入りましょう。一緒に声をあげていきましょう。諦めないで!
いま、一人ひとりが強くならなければ、声をあげなくてはどうなるの?
私たちが住んでいるこの日本は!お互いに声をかけ合って個を育てていきましょう。そう、あなたの未来、あなたも子どもの未来、孫の未来、そしてあなた自身のために、一歩、踏み出しましょう。自分に出来る事を考えましょう。
それが、温かい眼差しを向けるだけであっても良いのです。頑張りましょう。
私たち西口組は、広尾駅で抜けて新宿へ六時からは地下広場で反戦意思表示です。
フォトアルバムでお知らせしたように、先週レインボー旗を身に付けると警察の手に委ねると警告がでました。私たちは恵比寿のデモからずっと身に付け広場に立ちました。
私は、立つ前に監視カメラの前で一回転して着てきた事を意思表示しました。
暫くして、警備員が困ったという顔をしてやってきました。
「恵比寿から着てきましたからね」・・私
「わかっています。モニターを見ていました。でも今日は五分早く立ったでしょう」・・・警備員。
今日も二十人を超えて広場に個が叫ぶメッセージが立ちました。
先週、来られなくてとても心配していたNさんが今日は参加。
みんなNさんに「よく頑張ったね」と声をかけていました。
(Nさんのプラカードもフォトアルバムに載せました。)
Oさんは、そっくりなお子さんを連れて意思表示でした。
そこへ警官二名やって来て、「通行人から苦情が出ている」と言われ私と数人が話し合いになりました。
一番弱い立場の所を狙うやり方が嫌ですね。子どもは怖かったと思います。
お巡りさん、これから言いたいことがあるのならわざわざ子どものいる人のところに行かずに話が出来る大人たちに声をかけて下さいね。
子どもは、お巡りさんにそんな声がけをされたら不安に思うかも知れません。
もう少し細やかな神経を使ってほしいと思います。
苦情の内容は、「許可をもらってやっているのか」という事でした。
事情を知らない?(何処の職場も伝達事項ってないのですか)警察官に説明をし、ひとまず一件落着。
そろそろいろいろ出てくるのでしょうね。
でも、私は大らかに優しく自分の気持ちを意思表示していきます。
七時、丁さんYさんIさんと私は小田マサノリさんたち「殺すな」グループが行うライブへ。
神楽坂のスタジオは、昼間のデモと同じぐらいの若者で熱気に包まれていました。
今日のライブは、私の好きなホーミー(声帯を振動させながら気管や口腔で倍音を共鳴させ、同時に二つの音声(ときには三つの音声)を発する技巧)が聞けた事と、指揮者の合図で即興音楽を拵えていくそのパホーマンスが楽しくお仲間の息の合った奏でる音とエネルギーに魅了され、汗をいっぱいかいてきました。
会場に貼られたたくさんの「殺すな」の文字が演奏する側も聞く側にも同じ思いが行き来しここでも、昼間のデモや西口地下広場と同じように反戦の声を聞くことができました。
いろいろな場でいろいろな人が動き出す素敵なことです。
さぁーあなたは何を!
(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2003-11-10 02:25:43 (3462 ヒット)

(二代目ジローの5ヶ月頃です。まだ口元の黒も残っています。)

 家族殺傷事件を思い「ジローのはなし」を書きたいと思いました。 大木晴子

毎日、胸が張り裂けそうな思いになる事件で日本はいっぱい。
その当事者が若者であればなおさら、その子の幼い頃はどんな過ごし方をしていたのだろうと考えてしまう。
いまテレビ番組でも新聞でも話題にしている大阪で起きた家族殺傷事件を見聞きする中、
このところ私が目にした子育て中の母親とその子どもの視線が気になってしかたがない。
10月末になるのに少し汗ばむ日、乾いたのどに飲み物を買い電車に乗り込みました。
一人おいてバギーに一歳ぐらいの男の子を乗せ、前に座るその母親は携帯でメイルを打つのに夢中でした。
私は、のどを潤そうとバッグに入れたお茶に手をかけた時、その男の子が舌を出し唇をなめて見るからにのどが渇いている様子がわかりました。
彼は、母親を見て何度も繰り返し同じ行為をしていました。
でも、母親は私が四つ先の駅に降りるまで我が子に目を向けることは一度もありませんでした。
その間、子どもは母親を見つめ、いま気づいてくれるかと見ている目がやがて諦めの目に変ります。
その目は、今年、たくさん見た遠い国の子どもたちの目に何処か似ていると一瞬思いました。
私は、席を立ち降りる時に男の子に話しかけました。
「今日は、暑いわね、お水が飲みたいのかなぁー」とこの時初めて母親は携帯から目をはなし、怖い顔で私を見ました。
子どもは、いろいろなものに関心を向け体験、経験をして心のタンスにその感じた形、色、香り、温もりまた冷たい思いも仕舞われていくのだと思います。
そこに仕舞われたさまざまなことは、結果として何十年か先に見えてくるのではないでしょうか。
私は何度も流産をし、子どもを持つことが出来ませんでした。
最後の子どもは九センチまで育っていたと主治医から聞かされた時のこと。
二ヶ月の病院での生活で知る限りのお話をお腹に手をあて聞かせ、
知る限りの歌をうたい過ごした日々を忘れることが出来ません。
連れ合いが買ってきてくれた暮らしの手帳の「素敵なあなた」や
「まどぎわのトットちゃん」をお腹の子と噛みしめながら読んだことを。
その時、いたずらなトットちゃんに毎日「あなたは、良い子だね」と優しく頭をさわりながら言ってくれる
トモエ学園の校長先生の言葉に感動し、私もこの子に言い続けましょうと思いました。
しかし、病院の窓からも子どもの成長を願い泳ぐ鯉のぼりが目立つ頃、主治医 から
「大木さん、もう母体が危ない手術しましょう」と告げられ、私は子どもの日の前日に退院しました。
その日から、私の寂しさを癒し助けてくれたのが先代次郎でした。(フォトアルバム・レシピの所に写真を載せました)
そして、毎日「あなたは、良い子だね」と話しかけ一緒に歩み始めました。
彼は十五歳と十一ヶ月、松本サリン事件が起きた日に天国へ旅立ちました。
彼の通夜、最後の弔問客が帰られたのは時計の針が次の日を指していました。近くに住む中学生の娘さんが言った言葉が耳に残ります。
「おばあちゃんが亡くなった時は、こんなに近所の人が来てくれなかったどうして、次郎君は犬なのに」と。
次郎を愛してくださった皆さんに下記のようなお手紙をお出ししました。
この手紙を読んで下さった方から「我家の元気が近くのメグちゃんと恋をして子どもが産まれます。晴子さんに育ててほしい」と。
子どもを育てるように、母が私に残してくれたものを探りながら母と同じような気持ちに近づきたいと願いながら、ジローと歩んできました。
これから「ジローの話」をときどき書いていきたいと思います。

次郎を愛してくださった皆様へ



94年6月27日5時30分、次郎は天国へ旅立ちました。15歳と11ヶ月でした。
彼は、生まれて1ヶ月目に私達の家族になり、ここT町で育ちました。
育ての親に似て足の太い次郎は、20キロ近くまで大きくなりましたが、
亡くなった時は、片手で抱きかかえることができるほどでした。
彼は2年前、脳梗塞で倒れました。発作がひどく、一時は「もう駄目かもしれない」と覚悟をしました。
しかし、「あみ動物病院」の西河ゆあみ先生の治療のお陰で奇跡的に命を取り止めることができました。
少し眼が見えにくくなったようですが散歩をたくさんして、曲がった首をマッサージし、
見た目には、もとの次郎になりました。
その後見つかった肝臓近くの腫瘍やいつ起きるかわからない発作に、不安を覚え暮らした2年と数ヶ月でした。
私達は、次郎と楽しい思い出をたくさんつくりたいと雪が大好きな彼を連れて岩手や福島へ行き、
体が埋まるほどの雪の中で遊びました。
赤いレインコートを着て顔にいっぱい雪を付けていた次郎の姿が目に浮かびます。
ゆっくりゆっくり歩く彼との散歩は、いつも心が満たされ幸せな時間でした。
それは、見知らぬ人との出会いや木や草花そして月や星など、自然を通して体全体で感じることができました。
きっと次郎も同じだったと思います。
彼は6月13日の夜に発作を起しました。
その日から水だけしかうけつけなくなり、体のやせぐあいからか先生は、
長くても1週間と言われました。
しかし、彼は頑張りました。
10日間がすぎる頃まで、抱っこをして匂いのする所へ行くと自分で立っておしっこをしました。
最後まで自分の力を振り絞ったのだと思います。
次郎と一緒に散歩に出ると、いままでに出会った人達と不思議なくらいお会いし、
皆さんに優しい声をかけていただきました。
「次郎君よかったね。皆に『ありがとう』しましょうね」と感謝したこの2週間でした。
27日の夕方、私の手の中で「コト」と喉をならし彼の心臓が止まりました。
この後、次郎は口を大きく開けて『わぁう・わぁう・わぁう・わぁう・わぁう』と5回繰り返したのが彼の最後でした。
それが、私には次郎が『あ・り・が・と・う』と言っているように感じられました。
自分を愛してくれたすべての皆様に言いたかったのだと思います。
次郎に替わりお礼申し上げます。ありがとうございました。(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2003-11-09 09:23:14 (2382 ヒット)
西口通信「GO GO選挙」03-11-08  大木晴子
昨夜は、疲れて寝てしまいました。
遅くなりましたが地下広場の様子をお伝えします。
選挙前日の新宿は、五時から燃えていました。
小田急前地上は、Mさんと私で始まり次々参加、地下に移動する時刻には、七人が立ちそれぞれのメッセージで今日の選挙へ「平和憲法」を守る人へと呼びかけをしました。
地下広場に意思表示の場を移すとそこには、二羽の大きな折り鶴が舞っていました。
いつも百合の花を持って立つ少女は、今日は和紙で折った羽を広げると50センチはある大きな二羽の折り鶴と黄色い風船に「平和」の文字、手に持つプラカードは、「GO GO選挙」でした。
子ども達が私たち大人へ託すメッセージです。
皆で受け止めましょう。彼女のメッセージを!
戦争をしない、戦争に加担しない、殺したり殺されたりしない、長崎や広島の
ことを忘れないで平和に繋がる歩み方をする日本へ、私たちのこの一歩がそうなるように、行こう「GO GO選挙」。
警備員さんは、「今日は少ないね」と言ってきました。
いえいえ、そんなことはありません・・終わる頃には21名のメッセージが。
今週は、みんな頑張りました。
誰かが小田急前地上で「選挙に行こう、平和憲法を守ってくれる人に」と呼びかけていました。一人ででも、しっかりと人びとと向き合い意思表示したそこには、個が大らかな歩みを始めています。
素晴らしいことだし、今の日本に必要な事だと思います。
いろいろな場所で個が立ち上げると良いですよね。
またそのメッセージを見つめる眼も確実に変化が見られるようになりました。
見つめてくださる皆さん!いかがですか。
(おおきせいこ)

投稿者 : seiko 投稿日時: 2003-11-08 01:55:21 (2088 ヒット)
金曜日も意思表示!  大木晴子
私は、ポンと肩をたたかれ「あんた表情が良いね、邪念が無い」と易者のおじさんに声をかけられました・・新宿西口で。
今日は、市民の意見30の会・東京の事務局会議に出る前、新宿小田急デパート前の地上で6時少し前から「九日、投票日!私は「平和憲法」を守ってくれる人に!あなたはもう決めましたか!さぁ、選挙で意思表示しましょう!」と
殺すなマークが入ったプラカードを持ち立ち始めました。
易者のおじさんは、話を続け「人は、邪念が無くなると艶が出る」と言い、私は聞き返しました。「本当ですか」
おじさんは、優しい笑顔で「本当だよ」と言って自分の場所に戻って行きました。
何だか不思議な気分で始めた意思表示は、しっかり人と向き合いました。
縦書きにしたのが読みやすいのか皆さん目で字を追っているのがはっきり感じられました。「がんばりましょう」と声をかけてくださる女性、読んでくれた若者に「選挙に行こうね。意思表示してね。」と声をかけると「うん」と返事をして立ち去る人。
「ボクは中国人だけど、戦争はいけないよね。こういうの大切だよね」と話しかけてくれた男性に私は、一票を入れられないあなたの分まで頑張りますと応えるととても嬉しそうな表情でした。
始めて30分ぐらいして勤め帰りのKY生さんが、二人で意思表示です。
今日は、KY生さんが言い出しっぺの意思表示です。彼は今週、勤め帰りに何日もここ新宿で立ち続けました。
彼のプラカードを見た、たくさんの人たちがきっと投票日に心に留めてくれると私は信じます。
八日の土曜日は、一時間早く五時から地上の小田急デパート前で始めたいと思います。皆さんもいかがですか。
(おおきせいこ)

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