北から南から地下広場に19人! 大木晴子
21日の土曜日は、何時もと地上の雰囲気が違いました。
何時もの場所は布や香を売る人たちが店を広げていました。
ビッグイシューを販売するMさんもお店の品で隠れていました。
「売れます!」と訪ねると・・・・首を横に振られました。
この日、8名が地上から立ち始めました。
小田急デパート前は、節電なのでしょうか電灯が半分ぐらいしか
点いていないので移動した場所は暗い!!
その中でも一番明るい位置にMさんを立つようにすすめると
足を止める方が増え始めました。
あっ!良かった。
秋田から KANさん がそしてKANさんと仲良しのKY生さん も!
沖縄 と繋がっていますよ・・・・今週も!!
6時地下広場に降りると以前「特報首都圏」という番組で出会ったAさんが
九州から上京されたので立ち寄ってくださり、お知り合いの方が
この地下広場に立ちたいと言われて案内をして下さったのです。
東北から来られたリエさんは、明るく元気な方でした。
何とKY生さんやKANさんとお知り合いでした。
この写真は、KY生さんが撮られて送っていただきました。
その時に・・・・・
「人が人をよんで、すばらしい意思表示になりましたね。偶然とは素敵なものです。」
・・・・・と。
今日はプラカードを持っていない人が多すぎ!!
黒猫ろくも辺野古のポチ君も斎藤さんやクリスチャンのSさんが掲げてくれました。
Sさんと話しながら立つAさんは、新しい言葉でした。
広場に新しい言葉がひびきます。
今日はこの柱は人がたくさん繋がりました。
多分、 KY生さん がブログで書かれると思います。
言葉は隣の柱にも!
そして、他の柱にも・・・・。
持ち方も時が経つと工夫が見られます。
雲さんも志村さんも重石をつけていました。
先週初めて来られたA夫さんも立っています。
喜八さん は、レインボーの旗を持ちながら
そろそろご自分の言葉で立ちたいと思われたようです。
どんな言葉かなぁ〜、はやく見てみたいなぁ〜。
Sさんの言葉が投げかけるものは大きいなぁ〜。
ムキンポさんもUさんも立ちます。
この日、ムキンポさんバッジをいただきました。
可愛いなぁ〜。
Kシスターも元気に意思表示です。
何時もご用の後に来られて短いスタンディングですが、
心地良さそうな感じ立たれます。
7時、意思表示が終わり「ぼるが」へ向かいました。
秋田のKANさん、同じく東北から来られたリエさんを歓迎する飲み会になりました。
きれいでしょう!
リエさんのお土産です。
一本づつ分けようかなぁ〜とも思いましたが・・・・
つい言ってしまいました。
これは、このままの方が美しいなぁ〜・・・って!!
そうしたら私が貰ってもいいと・・・・皆さん、優しい!!
嬉しい・・・お台所が明るくなりました。
リエさん!ありがとう。
お正月料理で活用します!!!!
09-11-24(おおき せいこ)
「マガジン9条」と同じ更新になっちゃった!11月14日土曜日報告! 大木晴子
アメリカのオバマさんが来日しているときのスタンディング!
用があるので地上だけと立たれた喜八さんはじめ8名の人たちが
小田急デパートと小田急ハルクをつなぐ歩道橋下での意思表示でした。
Kさんが配る辺野古支援のビラを受け取る手も多くなったような気がします。
地下広場におりると志村さんのブログを見て訪ねて下さった男性A夫さんが
志村さんの隣で私のレインボーの旗を持って立たれました。
次から次と柱にメッセージが・・・・・。
行き交う人たちの目が、足が止まります。
政権がかわり何となく明るくなりましたね。
それぞれの場で何か変わり始めたことに気づきましょう。
これからです・・・・良くなるも元に戻ってしまうのも
個がしっかりと見つめて意思表示をするかです。
いままで以上に神経を研ぎすましていなければ・・・・
前の負を抱えながら鳩山政権!頑張っているのですから
大らかな温かい目線で見守り、これは危ない!!という時は
大きな声で軌道修正を私たち市民の力を注ぎましょう。
私は、不正なことに怒る気持ちを大切にしたい!!
それは、権力に対してもそして平和運動の中にも!!
私はいままでスタンディングをしていて嬉しかったことはたくさんあります。
その中でも 西一さん からカンパをいただいたときのことは、
私たち西口に立つ人たちの宝物のような気持ちを育ててくれました。
7時、スタンディング終わる頃立った人の数は15人になっていました。
09-11-18(おおき せいこ)
『鈴木一誌・エッセイ』第五回
寛容のデザイン
欧州東西の壁が崩れた直後のベルリンに行ったことがある。1990年の1月で、検問所チェックポイント・チャーリーはまだ健在、一定金額の西ドイツマルクを強制的に東側通貨に換金させられた。ついこのあいだ、以来、4度目となるベルリン訪問をした。写真家・荒木経惟さんの写真展が開かれたからだ。ドイツは、近代日本におけるグラフィックデザインの手本であり、書店の充実をふくめて、参考になることが多く、折りあるとベルリンに立ち寄る。<ビロード革命>後のベルリンは、首都として再構築されつつある。市街のあちこちで大規模な再開発がおこなわれ、新たな美術館のオープンもあり、訪れるたびに目を見張る。どう変わっているのか、これも、ベルリンを訪れたくなる理由だ。
ベルリンでは、写真家の古屋誠一さんに会った。古屋さんは、現在はオーストリアのグラーッ在住だが、ベルリンに壁があったころは、しごとで東ベルリンに居住しており、ひんぱんに検問所を往還していた。彼の話では、現在ベルリンには400から500の美術館やギャラリーがあり、それら発表の場を目指してぞくぞくとアーティストが集結中だそうだ。ベルリンは、欧州の他の大都市に比べて家賃がかなり安く、そのせいでギャラリーの数も多い。だがその家賃の安さも<西側>の基準であって、従来から住みつづけている<東側>のひとびとには、耐えられない値段になりつつある。緩慢ではあるが、<東側>だった人間がベルリンから脱出せざるをえなくなっている・・・・。
古屋さんのうしろについて、フリードリッヒ大通りを歩く。「この辺はなんにもなかったなぁ」「あ、これは作り替えた」「ここの段上はまだロシア関係の建物のままだ」と、古屋さんの説明が、風にのって耳に届く。「ここに壁があった」。古屋さんの目には、20年以上前の分断された荒野が見えていると感じられた。
一部があえて観光用に残存させられているものの、また地図で確かめることはできるが、もはや観光客にとって、壁は消失している。それでも、ベルリン国立歌劇場の座席に身を沈めながら、この華麗な劇場も1989年までは東側に属していたのかと気づき、奇妙な感じがする。しかし、住民にとってはどうなのだろう。<どちら側>の住民だったか、との意識はまったく消えたのか。いわば記憶の壁はなくなったのだろうか。
「戦火が収まりきらない東チモールに派遣された国連平和維持軍を統括し、シエラレオネでは国連平和維持活動の武装解除部長として何万人もの武装勢力と対峙した。アフガニスタンでも日本政府の代表として同じく武装解除に取り組んだ経験がある」(『武装解除 紛争屋が見た世界』講談社現代新書、2004年)自己のキャリアをこう記す伊勢崎賢治さんは、世界各地の紛争を平和的に沈静化させてきた、日本で数少ないプロフェッショナルだ。彼は同書で、「戦後復興における民主主義構築において、最大の難関は過去の遺恨への寛容の形成である」と書く。いささか大ざっぱに言い換えるならば、利害が複雑に入り組んだ地域で武装解除をするには「あなたの過去の罪は問わないから、とにかく武器を捨てろ」と言わざるをえないわけだろう。それこそが「民主主義構築」への第一歩なのだ。だが伊勢崎さんは、平和のためとは言いながら、ひとびとは<彼>の過去の罪をほんとうに忘れられるのか、と問うのだ。じっさいに、両親を殺された子どもと、その両親を殺した少年兵士が、学校で机を並べることもあるのだと言う。
<どちら側>の住民だったかとの意識は、長く残るのではないか。ならばなおさら「遺恨への寛容」は越えがたいハードルに思える。しかし、だからこそ寛容のデザインが必要な時代なのだろう。すっかり<非寛容>の雰囲気に染まってしまった日常のなかで、そう感じる。 グラフィックデザイナー・ 鈴木一誌(すずき ひとし)
(上下とも1990年5月撮影:大木茂)
『鈴木一誌・エッセイ』第四回
『鈴木一誌・エッセイ』第三回
『鈴木一誌・エッセイ』第二回
『鈴木一誌・エッセイ』第一回
「市民の意見30の会」 ニュース『市民の意見』NO108(2008年06月発行)に
掲載されたエッセイを筆者のご承諾をいただき再録させていただきました。
写真は、こちらで添付しました。これからも続けて掲載してまいります。
09-11-15(おおき せいこ)
2009年11月7日 土曜日報告! 村雲 司(写真・文)
今夜はみんながそれぞれの言葉で、沖縄の平和について強く語りかけた。
沖縄は戦後何度も、基地の島から平和の島へと舵を切るチャンスがあった。
しかし、日本政府はその沖縄の気持ちをはぐらかし、裏切り続けて来た。
政権交代が起こった今、その何度目かの貴重な機会なのだ。
明日は普天間基地の県内移設に反対する県民大会が開かれる。
もはや日本国の政治に託すことは止めようと、多くの沖縄の人
たちが決意したように感じる。
県民大会に本土から駆けつけようしする人たちに、
「あなたの生きる場所で、あなたのおかれた立場で闘ってほしい」
との沖縄からの声をたくさん聞いた。
私たちは、私たち自身こそが、沖縄一か所に75%もの在日米軍基地があるという
異常な状況を強いて来た張本人であることを明らかにしなければならない。
沖縄の傘の下で、傘のことなど知らぬげに暮らして来た
自分をまず変えなければならない。
そんな思いのプラカードが今夜西口に並んだ。
中でもSさんの言葉が心に刻まれる。
「人間の力は考える力!基地も軍隊もなくせる!」
諦めてはならない。≪雲≫
雲さん、記録更新が出来ました。
ありがとうございました。
09-11-09(おおき せいこ)
鳩山さん〜民意を信じて!! 大木晴子
雲さんは、風邪をひかれたようです。
11月8日(日) までには元気になる!!・・・・・と。
地上は、 浅草ウォーク を終えた皆さんと一緒に立ち始めました。
今日はSさんも!!
Oさんは言葉を書き始めました。
大きな文字が想いを伝えます。
地下広場を行き交う人たちの目にとまります。
鳩山さん〜、私たちは・・・・・。
武力では・・・・ダメです。
ミサイルを買うお金を困っている人たちに・・・。
活きた税金の使い方をしてください。
辺野古も・・・・・。
普天間も・・・・
嘉手納も・・・・
静かな生活を待っています。
一日も早く、戦争に繋がる基地が無くなるように・・・
誰もが願っています。
沖縄は、基地が無くても・・・
沖縄は知恵を出し合い、美しい自然や食べ物で
自分たちの生活の場を守っていけます!!
幸せな沖縄をつくっていけます。
ハートがあります!!
はやく、はやく沖縄を基地から解放してください。
平和憲法があります!
鳩山さん〜、これを掲げて世界に羽ばたいてください。
戦争の無い、静かな世界をつくりましょうよ!!
それが出来たら・・・・
オバマさんに続いてノーベル平和賞が・・・・。
鳩山さん〜、頑張ってくださいね。
私たちは、しっかりと見つめ、温かい眼差しを送り続けますよ!!
Sさんのプラカードに書かれた・・・・
冷戦は終わった
辺野古に基地は
いらない!!
・・・・を見て、右側の方々も「基地はいらねぇ」と
気持ちが一緒だということがわかりました。
う〜ん!素敵なことです。
だったらこの日、地下広場に集まった右側の皆さん!
外国人いじめなんてしていないで考えてほしいことあるなぁ〜。
向き合って話を聞いてそう感じました。
あのエネルギーを平和に繋がることに活かせたら素敵なのに!!
私は、11月8日に行われる 沖縄の県民大会 を応援したい!!
それから・・・・ WORLD PEACE NOW の呼びかけも参加したい!!
そして、風邪を治してきっと参加される雲さんたちと元気に
11月8日(日) 銀座を歩きます!!
皆さん!一緒に歩きましょう。
09-11-03(おおき せいこ)